【昭和~平成スター列伝】国際プロレスのエースとして“金網の鬼”と呼ばれた故ラッシャー木村さん(享年68)が、この世を去って今年で15年が経過した(2010年5月24日没)。

ドローに終わるとジャンボ鶴田は無念の表情。ラッシャー木村は25分の激闘後もケロリとしている
ドローに終わるとジャンボ鶴田は無念の表情。ラッシャー木村は25分の激闘後もケロリとしている

 アントニオ猪木の新日本プロレス、ジャイアント馬場の全日本プロレスに比べると国際は地味な存在だったが、木村は大相撲出身の頑丈な肉体を生かし、金網デスマッチで一世を風靡した。看板だったIWA世界ヘビー級王座は通算50回防衛を記録し、多くを語らず寡黙ながら金網デスマッチで鬼のような戦いぶりを見せた姿は、まさに“漢”そのものだった。

 輝かしい栄光とは無縁の木村だったが、最高の勲章は国際と木村にとって最初で最後となった1976年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」年間最高試合賞(ベストバウト)受賞だろう。この試合は同年3月28日蔵前国技館でまだデビュー3年目だったジャンボ鶴田の「試練の十番勝負第2戦」として行われた。

「東の応援席が国際、西の応援席が全日本、歓声が真っ向からぶつかり合う。1本目は木村がヒジ打ち攻撃を真っ向から受け止めて双手突きから左右の張り手。ジャンピングニーを食らいながらも強引なクロスチョップ。そのままブレーンバスタードロップで木村が先制した。2本目、鶴田は片足タックルから足首固め。出ようとする木村に至近距離からドロップキック。流れが変わった。鶴田はダブルアームスープレックス。カウント2で返されると、またスープレックスで決めて1対1に。3本目、血の気の多い木村は張り手の連続。鶴田はサイドスープレックス、木村がダブルアームスープレックス。場内が沸きに沸く。鶴田は背中に食いついてジャーマンを狙うが、木村は片足でロープを蹴る。2人はバックドロップのような形で崩れ、後頭部を打った。鶴田のブリッジは崩れている。芳の里はこの瞬間を見逃さず3カウント。2人同時フォールという結末で1対1の引き分けに終わった」(抜粋)

 合計25分の死闘。まさに名勝負だった。この試合を取材して、選考委員も務めた本紙OBでプロレス評論家の門馬忠雄氏は「試合の主導権はほとんど木村が握っていた。大相撲出身の頑丈な肉体とスタミナには鶴田も驚いたと思う。とにかく投げても蹴っても潰れないんだから。木村にしても負けられない意地があった。この試合を機に鶴田は強くなっていった。当時の国際、そして木村がベストバウトを取ったという事実は、歴史に残る偉業だったと思う」と述懐する。

 結局、鶴田の十番勝負は4勝2敗4分けに終わったが、この試合の主役は明らかに木村だった。勝負こそつかなかったが地味だが強い“金網の鬼”が、本領を発揮してベストバウトの栄冠を手中にした歴史的一戦だった。 (敬称略)