バルセロナ五輪柔道銀メダルで、プロレスラーとしても活躍した〝元暴走王〟小川直也氏(57)が、自身のYouTubeチャンネル「小川直也の暴走王チャンネル」を更新。〝黒のカリスマ〟蝶野正洋(61)の「【公式】蝶野正洋チャンネル」との合同企画で、暴走王デビュー当時にあった新日本プロレスの派閥抗争について明かした。
 
 リングでは一度も対戦したことがない2人が、YouTube企画で初めて対談。小川氏は1997年4月の新日本・東京ドーム大会でデビューしたが、当時nWoジャパンを率いていた蝶野は「北尾(光司)選手(元横綱双葉黒)が上手に残れなかったから。俺は逆に北尾選手が残ってもらって、業界がガッと上がることを期待していた。ああいう形でフェードアウトしていったので、もったいないなと。小川選手が来た時には、ちゃんとした形で残ってもらいたいなという気持ちが強かった」という。

 蝶野によると、自身より前の世代のプロレス界は「他から来ると、それをダシに潰しにかかるようなところがあった。昔の人たちは何であんなことするんだろうと思っていた」。小川氏の場合はオリンピアンから鳴り物入りでプロレスに転向したため「奪い合いになった。当時は派閥がすごかったから」(蝶野)。
 
 小川氏は新日本所属にはならず、故アントニオ猪木さんが率いたUFO(世界格闘技連盟)の一員に。蝶野は「後から何で立ち上がったかわかってきたんだけど、新日本の中が腐っていたんだよね。派閥の中でこっちがいい加減なことやったら、他もいいだろうって。全派閥がそうなってて。そこでオーナーの猪木さんが『会社がおかしくなる』となったけど、そこは猪木さんも切り崩しきれなかった」と話し、派閥争いの激化が小川氏の〝進路〟を決めることになったという。

 猪木さんは新日本から排除されそうになると、オーナーとして実力行使に出たそうで、蝶野は「その後、1週間ごとに4派くらいが組んだり離れたりですごかったよ。俺もちょっと巻き込まれてたけど」と、当時の状況を告白した。小川氏も猪木さんに連れられ、当時のメインスポンサーの元を訪れた。「何で毎回行くのかなと。(新日本の)株の話で…。横で聞きながら、こんな話に巻き込まれちゃいけないなと」と言いつつ、聞き耳を立てていた。

 小川氏はその際に、猪木さんがメインスポンサーから「あんたが好きにやれや」と言われたことで「(猪木さんが)オーナーなんだなあ」と納得。「みなさんいろいろ違うこと言われるけど、目の前で見ちゃうと『それ、違うよなあ』と思ってた」と〝首脳会談〟の場に居合わせたことで、水面下での本当の動きを理解していたという。

 そうした中、小川氏はある日突然、猪木さんから「ぶっ飛ばしてこい」と命じられ、当時新日本の社長だった坂口征二氏を襲撃するハメに…。坂口氏は明大柔道部の大先輩でプロレス界に引き入れてくれた大恩人だったが、98年6月5日の日本武道館大会の控室で大恩人を突き飛ばしてしまう。

 小川氏によれば、これも〝派閥争い〟の副産物だったとか。蝶野は「柔道の世界チャンピオンが鉄砲玉だよ。すごいよねえ。俺だったら、『行ってこい』と言われても違う方向に行っちゃう」と苦笑いしていた。