【橘高淳 審眼(28)】長く審判員の仕事をしていると、本当にさまざまなプレーに出くわすことになります。ゲームは生き物です。もちろん、あらゆる場面に応じて準備しているつもりですが、予想外のプレーも起こります。現在はリクエスト制度が導入され、リプレー検証が可能になりましたが、昔はその場面ごとの判断がより重要でした。

 1994年5月10日のヤクルト―巨人戦(神宮)でのプレーでした。8回裏のヤクルトの攻撃で飯田哲也選手が放った三遊間のゴロを遊撃手・川相昌弘選手が捕球。三塁をオーバーランしていた野口寿浩選手を刺そうと、三塁手の長嶋一茂選手に送球してタッチプレーとなりました。

 このケースでは遊撃手が三塁に送球してくることを想定して準備していないと、プレーについていけなくなります。遊撃手が一塁方向に送球するものだと思い込み、三塁をオーバーランしたランナーの動きに対してケアが薄れると、慌てて後ろ向きでタッチしにいかなければならなくなります。

 客観的に見て、あのプレー下での一茂くんはプレーについていけていませんでした。三塁塁審を務めていた私はセーフの判定を下しました。これを不服とした一茂くんは私を突き飛ばすような形になり、暴力行為により退場を宣告しました。この退場宣告は当時、在京スポーツ紙で大々的に取り上げられました。

 一茂くんのお父さんである長嶋茂雄さんは現役、監督時代を通じて退場の経験がありません。すなわち一茂くんは「長嶋家」から初めての退場者になったわけです。そういった見出しがスポーツ紙の1面でドーンと取り上げられていました。

 一茂くんが「1000年たってもアウト」と主張すれば、野口くんは「万年たってもセーフ」というコメントを残していましたね。ヤクルトの三塁コーチャーを務めていた大橋穣さんは、阪急の名ショートでした。二軍戦で審判員をしていた時代もコーチとしてよく顔を合わせていた存在です。その大橋さんからは「いい判断やった」と声を掛けていただきました。

 昨年の秋には、とあるテレビ番組でこの時の模様が放映されたそうですね。一茂くんが現役時代の唯一の退場を振り返るという形で。「審判に触れちゃったんです」と言及すると、共演者たちから「触れたレベルではない」「ぶつかりにいってる」などとツッコミを入れられていました。

 何年も前の実際の映像を目にした一茂くんは「目の前で見てたけど…。もしかしたら、今(見たら)セーフかも分かんない」と話されていました。当時はそうではなかったでしょうが、今となっては笑って振り返ることができる。私もこの退場宣告に関しては「長嶋家を退場にしてしまいました」として後日談としてお話しさせていただいております。

 この退場宣告が、私にとって一軍出場時の初めてのものであるというインターネット上の書き込みがあります。しかし、私の記憶ではそうではないんですよ。阪神で人気助っ人だったトーマス・オマリーのことは覚えている方々も多いですよね。私は阪神時代のオマリーに退場宣告しているはずで…。次回はそのエピソードについてお話しさせていただきます。