【平成球界裏面史 近鉄編46】平成30年(2018年)までの3シーズンでヤクルトレギュラーとしてプレー。背番号42番の坂口智隆は〝最後の近鉄猛牛戦士〟とも表現され、神宮でも人気選手となっていた。
時代は令和元年(2019年)に移り変わり、ここから坂口は故障との戦いを強いられることになる。オープン戦から自打球が目に当たるなどのアクシデントに遭い災難続き。阪神との開幕シリーズ(京セラドーム大阪)では「1番・一塁」でスタメンスタートとなったが、3月31日の第3戦の8回、阪神・島本浩也から左手に死球を受け途中交代となってしまった。
左手親指の骨折が判明し4月1日には出場選手登録抹消。復帰を急ぎ完治を待たずに5月17日に一軍に戻ったが、故障の影響は色濃く自分の打撃はできなかった。結果、6月9日に再び登録抹消。そこからは二軍生活を余儀なくされた。骨折自体が完治したのは7月で、そこから感覚を取り戻すのは至難の業だった。
19年は最終的に22試合の出場にとどまり打率1割2分5厘、2打点と不本意な成績。「苦しいシーズンでしたね。いい状態で開幕を迎えることができたのに、スタートからケガ。早く復帰したくて、試合に出られる状態にまでは持っていけたけど、そこで結果を出せなかったのは自分の責任です」と悔しさを噛み殺した。
イースタン・リーグでは「チームがCSに出場する可能性がある限り、いつ呼ばれてもいいように準備をしています」と手を抜かなかった。その姿勢はヤクルトの若手には手本となった。近鉄OBでもある当時の北川博敏二軍打撃コーチは「打つ、走る、守るだけじゃなくて野球に取り組む姿自体が若い選手に影響を与えられる選手」と認めていた。シーズン終盤、チームのBクラスが確定すると坂口は次シーズンに備え治療に専念した。
坂口は前年オフに年俸変動制の3年契約を結んでおり、2500万円ダウンの年俸1億1500万円で翌20年シーズンの契約に合意。「年齢を重ねるほどケガの治りも遅くなるし、故障後の感覚でいかに打てるかというのを模索していくしかない。もう元に戻るとかいうのは考えていない。この状態でいかに打つのかということを考えないといけない」と自分を追い込んだ。
左打者の坂口にとって左手の親指を骨折したのはネックだった。バットを押し込む際に投球の衝撃をまともに受ける箇所だからだ。衝撃緩衝のためのパッドなども試したがしっくりくるものはなかった。「どうしても故障した箇所に痛みが残る状態でとなると、1打席1球をワンチャンス、ワンスイングで仕留めないといけない」。悪条件のままでの練習でフォームを崩すリスクもあった。19年の骨折は確実に坂口の現役生活を短くした要因だ。















