【平成球界裏面史 近鉄編⑫】近鉄、オリックスの合併問題から端を発した球界再編問題が混沌とする中、パ・リーグ公式戦は粛々と行われていた。

本拠地最終戦で近鉄を応援するハイヒール・モモコ(2004年9月)
本拠地最終戦で近鉄を応援するハイヒール・モモコ(2004年9月)

 大阪近鉄の猛牛戦士たちは愛着あるユニホームでの、本拠地最終戦を忘れることはないだろう。

 平成16年(2004年)9月24日、大阪ドームでの近鉄―西武。この年、スポーツ界ではアテネ五輪が開催され、MLBではマリナーズ・イチローがシーズン262安打で年間最多記録を84年ぶりに更新した。

 だが、近鉄ナインはそれどころではなかった。目の前の試合に全力で取り組むことには変わりはない。だが、この試合が終われば近鉄の選手として大阪ドームでプレーすることはなくなる。

選手会長の礒部(右)をねぎらう梨田監督(2004年9月)
選手会長の礒部(右)をねぎらう梨田監督(2004年9月)

 当時の選手会長・礒部公一は「合併も阻止できなかった。ファンの皆さんに申しわけない。でも、下ばっかり向いとったらあかんやろ。全力で頑張ってくるわ」と複雑な心境を口にしてフィールドに飛び出して行った。

 当日は内外野の自由席が無料開放された。球団発表では満員4万8000人のファンが球場に詰めかけた。この光景を見たある球団職員は「普段からこれくらい球場が満席やったら、こんなことにならんかったのになあ」と自虐気味につぶやいた。

 先発はベテランの高村祐。大村直之、水口栄二の1、2番から3番・礒部公一、4番・中村紀洋、5番・北川博敏と01年優勝メンバーがスタメンに顔を揃えた。

オール直球勝負を仕掛けた松坂大輔(2004年9月)
オール直球勝負を仕掛けた松坂大輔(2004年9月)

 印象に残っているのは西武が2―1とリードして迎えた5回裏だった。松坂大輔が2番手として登板。最優秀防御率のタイトルがかかっていた松坂は、1回を無失点に抑えれば近鉄・岩隈を引き離せるという背景もあった。

 ただ、予定の1回を三者凡退に抑えた松坂は6回も志願の続投。打席の中村紀にオール直球勝負を仕掛けた。本塁打を浴びて失点するリスクもあったが、この後に及んでタイトルなど度外視。力と力の「平成の名勝負」を迷いなく演出した。

松坂に抑えられた中村紀はこの表情(2004年9月)
松坂に抑えられた中村紀はこの表情(2004年9月)

 初球は149キロで空振り。2球目は150キロ空振り。3球目は149キロで二ゴロ。松坂の豪速球、中村紀のフルスイングにスタンドは大いに沸いた。3年前の同じ日には松坂が中村紀から生涯唯一のサヨナラ本塁打を被弾し近鉄にマジック1が点灯した。あれからわずか3年で近鉄が消滅するとは誰も想像していなかった。

スタンドのファンにあいさつする近鉄ナイン(2004年9月)
スタンドのファンにあいさつする近鉄ナイン(2004年9月)

 ゲームは同点の延長11回、一死二塁から星野おさむの右翼線サヨナラ二塁打で近鉄が勝利を収めた。一塁ベンチからナインが飛び出し、歓喜の輪ができたあとには、別れの時が待っていた。04年限りで引退した加藤伸一、赤堀元之をはじめ、近鉄一、二軍全選手が最後のホームユニホームで球場を一周した。

 一、二塁間に選手、スタッフ、裏方全員が整列し右翼スタンドをバックに写真撮影を行った。歴戦の兵(つわもの)、近鉄いてまえ打線の猛者たちが人目をはばからず号泣した。

涙をぬぐう中村紀(2004年9月)
涙をぬぐう中村紀(2004年9月)

 55年の近鉄球団の歴史がここで終わると実感した1戦だった。

最終戦でレフトスタンドの近鉄ファンにあいさつした(2004年9月)
最終戦でレフトスタンドの近鉄ファンにあいさつした(2004年9月)