逃亡記はあるのか。爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)は「ウチダヒロシ」という偽名を使って、神奈川県に潜伏していたことが分かった。桐島容疑者は1970年代に起きた連続企業爆破事件の一つに関与。事件以降の空白の50年に関心が高まっている。

 桐島容疑者は末期の胃がんで神奈川県内の病院に入院。25日に「最期は本名で迎えたい」と名乗り出ていた。捜査関係者などによると、数十年間にわたり神奈川県内の工務店に住み込みで働いていたという。その時に使っていた偽名がウチダヒロシだった。近隣住民によると、やせ細っていたそうだ。

 桐島容疑者がかかわったのは、1975年4月に起きた東京・銀座の韓国産業経済研究所に爆弾を仕掛けて爆発させた事件だった。判明している足取りは75年5月に実家に電話をしたことが最後で、それ以降は分かっていなかった。公安部に対して海外にいたこともあるとほのめかしている。

 事件から約50年。全国各地には桐島容疑者の顔写真が貼られていたが、警察は見つけることができなかった。それだけに空白の50年に関心が高まっている。

 フリージャーナリストは「できるものならインタビューしたいです。もう警察が対応しているし、末期がんというから話をするどころではないでしょうがね。今までどうやって生きてきたのか。ここに関心がある人はたくさんいるんじゃないでしょうか。せめて手記という形で残してくれないか」と話した。

 逃避行の手記には前例がある。2007年3月に起きた英国人リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で殺人罪などで逮捕・起訴され無期懲役となった市橋達也受刑者だ。市橋受刑者は2011年に「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」(幻冬舎)を出版。住み込みの仕事をするだけでなく、一時期は沖縄の無人島で自給自足のサバイバル生活をしていたことなどがつづられていた。

「事件の真相や、70歳になった今、過去にやったことを自身でどう評価しているのか。そして、今までどうやって生きてきたのか。桐島氏の人生に出版社も興味を持っているでしょう」(同)

 犯罪者心理を知る上で貴重な資料となるはずだが、果たして――。