【赤ペン! 赤坂英一】野球殿堂博物館は18日に2024年の殿堂入りメンバーを発表し、競技者表彰で日米通算203勝を挙げた元広島の黒田博樹氏(48)が選ばれた。ドジャース、ヤンキースでも活躍し、15年には約5分の1の推定年俸で広島に戻り、古巣の25年ぶりの優勝に貢献。そんな真っすぐな人柄にもファンは魅了された。赤坂英一氏が黒田氏ならではのおとこ気秘話、さらには新井貴浩監督(46)との知られざる友情ストーリーを明かす。

2016年7月23日、200勝を達成
2016年7月23日、200勝を達成

 黒田氏は日米通算20年で203勝184敗1セーブと、野球殿堂へ入るのに申し分のない実績を残している。が、そうした数字以上に殿堂入りに最もふさわしいと評価されたのは、野球人としての生き方だろう。

 現役晩年の2015年に突如メジャーから広島に復帰し、16年の25年ぶり優勝に貢献。当時のレートで年俸21億円と言われたパドレスからのオファーを断り、4億円(金額は推定)で広島に復帰した選択は「おとこ気」ある決断と言われ、黒田氏の代名詞にもなった。

 あの決断は、黒田氏の野球人生でどのような意味を持っているのか。会見で改めて聞いてみた。

「決断したときは、まったくパニック状態というか、期限も決まってたし、どういう状況でどういう判断をしたのかも覚えてないんです。でも、こうやって現役生活を終えて数年たっても(広島の)ファンの人たちはすごく応援してくれるし、声もかけてくれる。たくさん悩みましたけど、改めて引退して、こういう形になったのもカープのおかげなんで、自分の決断は間違いじゃなかったんだと、改めて感じてます」

 そこで思い出したのが復帰1年目の15年、黒田投手にインタビューしたときのことだ(月刊PHP増刊号所収)。黒田氏は「お金は当然大事だと思いますが、お金以上にやりがいを感じて野球ができるのか、やりがいを感じられるのはどこなのかということを考えたんです」と強調している。

「まだ5年も10年も野球人生があるならもっと条件のいいところとか、僕も迷ったかもわかりません。でも、先が見えてきたし、野球人生の最後にどういう気持ちで野球をやりたいかと考えると、広島に帰るのが一番という結論になった」

 そんな「やりがい」を与えてくれたのが、広島のファンの存在だった。

「地方の町にあるカープは応援してくれる人たちの気持ちの熱さが違う。ファンに感動とか、何か形にできないものを与えられるのも、僕らにしかできない仕事です。残り少ない野球人生で、そういうことを何より大事にしようと思いました」

 そう語った黒田氏は、実は自分がカープに復帰する前、新井現監督の復帰を後押ししていた。同じ14年のオフ、阪神を自由契約となった新井は広島・鈴木球団本部長に再三「帰って来い」と言われながら、かたくなに固辞。08年に阪神にFA移籍した際、ファンに猛反発を浴びた経緯から「僕はカープに戻っちゃいけない人間なんです」と首を横に振り続けた。

 すると、鈴木本部長の要請から1週間ほどしたころ、不意に黒田氏から電話がかかってきたのだ。広島に復帰したのちの17年、新井は私のインタビューにこう明かした(サンデー毎日掲載)。

「黒田さんに『話は聞いてる。それでどうするんだ?』と聞かれて、僕は『やっぱり帰れません』と答えたんです。そうしたら、黒田さんが『何を言ってるんだ。気にすることなんかない。新井はカープに帰ればいいんだよ』と。あの一言が、ずっと迷っていた僕の背中を押してくれました」

 こうして新井が改めて広島と契約し、正式発表されたのは14年11月14日のことだった。ちなみに、黒田氏が鈴木本部長に電話を入れ「カープに帰ります」と伝えたのは、それから1か月12日もたった12月26日。発表は翌27日である。

 黒田氏が新井の背中を押したとき、自分の復帰を決めていたかどうかはわからない。ただ、選択肢のひとつに入っていたことは確かだろう。黒田氏は、グラウンド外でもカープと新井監督に殿堂入りにふさわしい「おとこ気」を示していたのだ。