【プロレス蔵出し写真館】昨年の12月29日、76歳で亡くなったキラー・カーンの家族葬が1月4日に営まれたようだ。米フロリダから来日した長女・由江(ゆきえ)さんが喪主を務めたという。
「大きくなったでしょ」。カーンからスマホの画面で愛娘の写真を見せられたことがあったが、この子が由江さんだったのか次女・由子(ゆきこ)さんの方だったのか記憶はあいまいだ。
今から40年前の1984年(昭和59年)3月20日、フロリダマットで活躍していたケンドー・ナガサキこと桜田一男をタンパで取材すると、試合後「今から小沢(正志=カーン)の自宅に行くけど、一緒に行く? 自宅訪問の取材ができるんじゃない?」と桜田が誘ってくれた。
桜田はガールフレンドを同伴。カルガリーのツアーから戻ったばかりというカーンは、シンディ夫人とちゃんこ鍋の用意をしていた。〝鍋奉行〟は当然、主人のカーンだった(写真)。
カーンはみそ味の鍋に野菜や肉を入れながら、「今でこそ、ちゃんこや天ぷら、すき焼き、みそ汁。できないものはないけど、(夫人と)一緒になった当初はなぁ。みそ汁に砂糖を入れるんだから…」と苦笑いしていたのを思い出す。
プロレス界を引退して飲食業を始めていたカーンに、このときの話を振ったが反応は鈍かった。愛娘の話題には冗舌なカーンだが、妻シンディさんの話はスルーだった。
昨年7月にカーンの店で同席した、新日本プロレスのリングドクターを長年務めていた富家孝氏は「あれからも一回行きましたわ。舛田山を連れて。前・千賀ノ浦親方ですよ。舛田山が一回行きましょうって。(カーンは春日野)部屋の先輩ですからって。カーンは、よく春日野部屋のOBが来てくれると言ってましたわ」と語る。
カーン死去の一報は経営する「カンちゃんの人情酒場」で接客中に、カウンターで休憩している最中に意識をなくして駆けつけた救急隊員に店内で心臓マッサージを施されたが意識は回復せず、救急搬送された先の病院で動脈破裂で死亡したと伝えられた。
富家氏は「解離性動脈瘤があったと思いますわ」と推察し、「それが突然、破裂を起こしますから。手術をしたって2割も助かりません。解離性動脈瘤破裂した場合は、誰も助けようがないです。(首の調子が悪いと言っていた?)当然、そうやと思います。肩凝ると言う人もおるし、いろんな人がおりますね」
「年いったらいろんなことが出てきますね。自分が動脈瘤あるってことを知ってるのが大事やと思いますね。無理しないでしょうからね。ただ、注意したって逝くときは逝くわけやから。腹部と胸部。どっちも怖いです」と教えてくれた。
ところで、カーンの代表的な試合として記憶に残るのは82年の〝大巨人〟アンドレ・ザ・ジャイアントとの「第5回MS・Gシリーズ」優勝戦。
アントニオ猪木が左右のヒザ「じん帯損傷、ヒザ関節炎」で全治3週間と診断され、棄権。4月1日、蔵前国技館で行われた優勝戦は、リーグ戦3位のカーンが代打として覇を争った。
このとき、猪木の診断を下したのは富家氏。当時を振り返り「ヒザの負傷は覚えてないですね。昭和57年でしょう?(猪木さんは)56年に一回慈恵医大に入院してもらいましたから。糖尿病でね。血糖は食後か空腹(時)か忘れたけど、600なんぼかになってね。ムチャクチャ高い、普通だったら昏睡起こすぐらいの値。82年のときもそれ(糖尿)だったと思いますよ」と明かした。
さて、この試合はファンの「オザワコール」に後押しされたカーンがモンゴリアンチョップ、ハイキックで攻めたてた。コーナーから得意のダイビングニードロップを狙うもデッドリードライブで切り返され、最後は18文キックのカウンターを食らいヒップドロップで撃沈。
WWF(現WWE)でトップヒールとしてメインを張っていた試合巧者ぶりを見せつけ、敗れはしたが観客を十分満足させた。カーンの名勝負といっていいだろう。
87年の引退は早すぎたが、復帰をオファーされても首を縦に振ることはなかった。引退しても復帰するのが常だったレスラーとは一線を画し、復帰しなかった数少ないレスラー。
謹んで冥福を祈りたい(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













