【プロレス蔵出し写真館】プロレスラーで愛煙家で知られたのはジャイアント馬場だ。
東スポに入社したてのころ、「君はたばこの吸い方を知らないな~。たばこというのはね、煙を上に吐くもんだよ」。そう言って葉巻を吸って、煙を上に吐き〝お手本〟を示してくれたことを懐かしく思い出す。
葉巻は馬場のトレードマークだった。
写真は、今から50年前の1973年(昭和48年)3月17日、「第1回チャンピオン・カーニバル」開幕戦を迎えた東京・世田谷区体育館の日本側控室で、葉巻をくわえ相好を崩す馬場。奥に座っているザ・デストロイヤーが笑わせたのだろうか…。
馬場は初渡米で武者修行していたニューヨーク時代に、アントニオ・ロッカからもらった葉巻で味を覚えたという。日本プロレスのエースになってからは「ダビドフ」。75年末あたりからは「REAS」が好みの銘柄だった。
作家の北方謙三は以前、馬場の要望に応えて当時、政府関係者しか入手できなかったキューバの高級葉巻「コィーバ」を何本か進呈したら、(全日本プロレスの)アリーナ席のチケットを(馬場さんが)亡くなるまで送ってくれたと話していた。
和田京平レフェリーは、「何げなく、なんでジョニー・スミスが毎シリーズ来るんですか?」って聞いたことがあって。そしたら『あいつは〝運び屋〟なんや』って。(スミスが住んでいた)カナダで「REAS」が買えるんだよね。スミスに『また買ってきてくれ』って、シリーズ終わって帰るたびにお金渡して、来るときは必ず紙袋にいっぱい葉巻入れて馬場さんに渡してましたよ」と重宝していた理由を明かしたという。
「それを知ってる(アブドーラ・ザ・)ブッチャーからは、『馬場から(キューバ産の)たばこもらってきてくれ』ってよく頼まれましたよ」(和田レフェリー)
さて、そんな馬場が葉巻を断ったのは93年(平成5年)のことだった。
東スポにより、それが明らかになったのは11月5日。いつも愛煙している葉巻を吸わないことを不思議に思った日本テレビの関係者が尋ねると、「ただ吸ってないだけだよ。特別意味はない」と照れながらもとぼけたという。
しかし、実は「逸見さんが早く退院できるように」と、馬場が大好きな葉巻を断ち、〝願掛け〟をしていたことがわかった。
逸見政孝さんはフジテレビアナウンサーからフリーとなって活躍していた人気司会者。その逸見さんが、93年(平成5年)9月6日に東京・千代田区の日本テレビで開いた緊急記者会見は衝撃的だった。
「私が今、侵されている病気の名前。病名は癌です」。そう告白した。
2月4日に胃の3分の2を切除した手術が、実は胃癌の摘出手術だったことを公表した。癌は腹壁と腹膜に再発し「それが腸に付着していれば、今回は腸(の一部)を摘出する手術になるでしょう」と語った。
馬場は逸見さんが司会を務める日テレ系「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」のレギュラー解答者として出演したことから関係を深めた。
馬場は後にドキュメント番組で、「僕が(解答者として)しゃべるのを待っててくれた。僕にとっては優しかったな」と回想し、逸見さんの弱っていく様子には「逸見さんに、やせたね~。そんなに働かんでも。命落とすようなことになるかもよ。無理して働かん方がいいよって、生意気なこと言ってね。で、後で逸見さんが自分は癌だということを言われて。あぁしまった。あんなこと言うんじゃなかったと思ってね」と、後悔したことを明かしていた。
逸見さんは12月24日、容体が急変し、意識不明の危篤になり25日に息を引き取った(享年48)。
「この病気、なんとか治るように、神に通じるという意味からも、そう(願掛けを)したんだけども。僕の修行が足りなかったのかね」と馬場は語った。
和田レフェリーは「クリスマスの翌日、逸見さんが亡くなったのを知らされた。(馬場さんは)あんまり人のこと言う人じゃないけど、逸見さんに関してはすごい大事な友達をなくしたって感じだったよね。がっかりしたというかね。逸見さんは、すごく親しみのある人というか、信用してたんじゃないかな。亡くなった後も、娘さん、愛ちゃんと仲良くしてた。(ドキュメンタリーで)テレビ録ったりしてたからね」。
逸見さんが亡くなった後、馬場は葉巻を手に取らなかったのだろうか? 「(馬場さんは)年が明けて、しばらくしてから『そろそろ吸うかな』って吸ったんだよね。で、吸ったんだけど『あんまり旨いもんじゃないな~』って言い出した。そのまま自然に葉巻やめちゃったね」(和田レフェリー)
葉巻のイメージが根強く残る馬場だが、実際は逸見さんの死をきっかけに卒煙していた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













