【森脇浩司 出逢いに感謝(7)】優勝争いをした翌年の2015年6月2日、遠征中の東京ドームホテルでフロントに呼ばれた。ケガ人が続出し、借金15の状況でもリーダーとしてファイティングポーズを取り続け、巨人戦に立ち向かうつもりでした。前日にフロントから連絡をもらった時からどういう話なんだろう、と思っていた。こういう話が考えられるから、そこは従わざるを得ない。瀬戸山隆三球団本部長から「ここで休養していただこうと思います」と言われたのは、いくつかシミュレーションした中の一つだったと思います。
覚えているのは…部屋に入った時、瀬戸山球団本部長の疲れ切った声が痛々しかったこと。声がかれて表情も疲れ、ものすごく今回の出た結論に対して立ち向かってくれたんだな、と感じました。申し訳なかった。今日の試合から指揮を執れないということだし、瀬戸山さんにこの先の恩返しができないということに関して、本当に申し訳ない思いでした。
自分がコントロールできる部分なら最善を尽くすが、できないことは受け入れるしかない。僕は離れるけど、選手、スタッフは残りのシーズンを戦うわけでみんなには家族がある。選手1人に4人家族がいるとすれば、70人の選手がいるなら280人を預かっていると考える必要がある。それくらい責任が重いんです。でももう携わることができない現実がある。僕ができるのは陰ながら応援することしかない。
ナイターを控えて午後に退任がリリースされ、会見を行った。宿舎を出る前にコーチ会議、投手と野手のミーティングがある。僕はコーチ陣に「こうなったけど、後のことはよろしく頼む」と伝え、集まってくれていた選手や裏方さんには「大事な試合がこのあと控えている。僕のことでこれ以上時間を取ることはできない。これからも応援している。今日の試合を楽しみにしてるよ」と伝えました。お礼とおわびをし、1人ずつ握手をしたのが最後でした。「苦しい時こそ成長のチャンスなんだ」と言ってきたのに…自分だけその場から離れる現実がやるせなかった。
沈痛な表情を見せていた選手もいたと思うし、中には「最後まで監督らしいですね」と言ってくれるスタッフもいた。僕にとっては大きな出来事でしたが、時間は止まらない。試合を中止にして気持ちをすっきりさせようなんてできない。大事なのは僕のことより試合に全力を注ぐことです。
その日のうちに大阪に帰り、後日、ほっともっとフィールド神戸に片づけに行った時、二軍のグラウンドでスタッフにあいさつをした。立つ鳥跡を濁さずじゃないけど、お礼とおわびと激励だけは最後のやるべきことと思ってね。その後は契約の関係もあり、16年までSA(シニアアドバイザー)として球団に在籍しました。
オリックスでの足掛け5年間、素晴らしい選手との出会いがあった。超人と呼ばれた糸井嘉男は…。












