【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(33)】11年に及んだ現役生活で最高の一年となったのが、ヤクルト移籍2年目の1997年でした。最もうれしかったのは初めてのリーグ優勝です。しかも先発ローテーション投手としてチーム最多の15勝を挙げて貢献できたのですから、これ以上の喜びはありません。
最優秀防御率や最高勝率といったタイトルにはあと一歩届きませんでしたが、ひそかに狙っていた賞をいただくことはできました。正捕手として僕を一人前の先発投手に導いてくれた古田敦也さんと受賞した最優秀バッテリー賞です。
同賞には年間を通じた活躍はもちろん、先発投手なら10勝、リリーフなら20セーブポイントなどの選考基準が設けられています。捕手はリードや盗塁阻止率も評価の対象で、セ・リーグの最終候補に挙がったのは僕と古田さん、吉井理人さんと古田さんというヤクルトの2組。結果的に僕と古田さんのバッテリーが選ばれたのは、年間を通して許した盗塁が、8月1日の中日戦の4回に代打で出塁した樋口一紀さんに二塁を奪われた1つだけだったからです。
僕と組んだ時の古田さんの盗塁阻止率は、盗塁企図数2の許盗塁1でジャスト5割。古田さんの肩、捕球してから送球するまでの速さ、スローイングの正確さがどれも一級品なのは言うまでもありませんが、盗塁阻止はバッテリーの共同作業でもあります。規定投球回に到達した投手で盗塁企図数2は12球団最少で、僕のけん制やクイック投法などの技術も抑止力になっていたと自負しています。
2年連続でチームの勝ち頭となり、球宴にも2年連続で出場。オフの契約更改交渉では球団から「投手では最高の評価」と言っていただき、ダイエー時代の94年に740万円だった年俸は、わずか3年で約10倍になりました。そんなバラ色のシーズンにあって、唯一の心残りが西武との日本シリーズです。
第1戦は石井一久が先発して3安打12奪三振で完封勝ち。僕は「2戦目重視」と言われる中で第2戦の先発を託されたのですが、成績だけで言うと1回5安打5失点(自責3点)。7番の河田雄祐さんに日本シリーズ初打席初本塁打となる2ランを浴びるなど、言うなれば大炎上です。
左翼を守っていたホージーの拙守に足を引っ張られたことから、評論家の中には同情的な声もありました。この年のオールスター第1戦で古田さんから球宴新記録となる4盗塁を決めた先頭の松井稼頭央に出塁を許しながら、長くボールを持ってスタートを切らせなかったり、捕手のサインをのぞいている間に一塁にけん制球を投げるなどの技術を褒めてくださっていた方もいました。
しかし今になって振り返ると、この日が僕にとって大きなターニングポイントになったように思います。投球内容が原因ではありません。考え過ぎだと言われるかもしれませんが、降板後のベンチでのちょっとしたことから、僕の野球人生は暗転していったのです。












