【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(18)】1995年11月20日に正式発表されたヤクルトへのトレード移籍。もちろん不安はありました。93年オフに結婚した妻は福岡生まれ福岡育ち。しかも94年に長男を出産したばかりでした。でも、僕にとっては飛躍のチャンス。妻や子供たちに苦労はかけまいとモチベーションも自然と上がりました。
転勤を経験した方ならお分かりになると思いますが、新たな環境に慣れるのには大変な労力が必要になります。住まい探しもそうですし、食事や買い物をどこでしたらいいのかなど戸惑うことだらけです。
福岡から出たことのない妻と、富山と福岡でしか生活したことのない僕にとって関東は未知の世界。仕事と私生活の利便性を考え、悩んだ末に住まいは埼玉県戸田市に決めたのですが、ふたを開けたら一緒にトレードでヤクルトへ移籍した外野手の佐藤真一さんと同じマンションだったという笑い話のようなこともありました。
脱線ついでに言うと、年明けに戸田のグラウンドで自主トレをしていたときには、2学年下の左腕・山本樹に「ダイエーから来た田畑です。よろしくお願いします」とあいさつしたら「よろしくな」と“上から”返されて驚いたことも。本人に悪気はなく「ダイエーから来た」を「大学から来た」と聞き間違えて年下だと思ったというのが真相なんですが、こうしたハプニングも新天地ならではでしょう。
そんな中で、僕には心強い“助っ人”もいました。僕より一足先に交換トレードで日本ハムに移籍した下柳剛です。シモがトレードされるに至った過程にはあえて触れませんが、リーグやチームが違っても心を許せる仲間が身近にいたことは心の支えにもなりました。
それにしてもベストなタイミングでのトレードだったと思います。富山でくすぶっていた僕をプロの世界に導いてくれたダイエー球団には感謝しかありませんでしたが、4年間在籍して一軍登板は43試合。2年間のブランク明けで二軍暮らしが続いた1年目を度外視しても、一軍と二軍を行ったり来たりで閉塞感のようなものもありました。
新戦力としての期待もあったのか、96年2月の春季キャンプは一軍メンバー入り。チーム関係者から一報を受けた際には「やってやるぞ」と気合も入りました。そして忘れてはならないのが、名将・野村克也監督との出会いです。
キャンプ地の米アリゾナ州ユマに向かう出発前に空港でごあいさつさせていただいたときには低音で「おう」と言われたぐらいでしたが、いざキャンプ地に入ってブルペンで投球練習をしていると、こちらが恐縮してしまうくらいお褒めの言葉をいただいたのです。












