【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(16)】11年に及んだ現役生活の中で、やはりプロ初勝利は忘れられない思い出の一つです。入団2年目の1993年6月13日。本拠地・福岡ドーム(現ペイペイドーム)でのロッテ戦でした。僕は6回2/3を投げて2失点でお役御免。2番手でマウンドに上がったのは、前日の同カードでプロ先発し5回2/3、116球を投げて5失点で負け投手となっていた同学年の下柳剛でした。
シモは回またぎで2/3回を無失点に抑え、8回途中からはこれまた同学年の足利豊が1回2/3を無失点で締めてチームは4―2で逆転勝ち。僕はプロ初白星をつかみ、足利はプロ初セーブをマークしました。同い年の3人でチームを勝利に導き、感慨深いものがありましたね。今でもシモには「俺のリリーフ人生はあそこから始まった」と言われていますけど…。
それにしても、プロで1勝するのは大変なことです。いくら0点に抑えても、打線の援護がなければ勝利投手にはなれませんからね。逆転打を打ってくれた現監督の藤本博史さん、無失点リレーでウイニングボールをプレゼントしてくれたシモとアシには本当に感謝です。
たたき上げの選手ながら二軍戦より先に一軍の公式戦でプロ初勝利を挙げたことは、自信にもなりました。結局、93年は13試合に登板して先発は2度だけ。一軍に定着できたわけではありませんが、二軍に落ちても堂々としていられるようにもなりました。
ただ振り返って考えると、これが“二軍慣れ”の始まりだったような気もします。萎縮することがなくなったのはいいことなんですが、どこか1勝したことで満足してしまっていたというか…。象徴的だったのが、一軍未勝利に終わった94年です。
二軍戦12試合で71回1/3を投げて4完投で6勝2敗、防御率2・14。ダイエーの規定投球回(試合数×0・8)は76回で、あと1試合投げれば阪神・井上貴朗(2・39)を抜いて最優秀防御率のタイトルを手にできる状況でした。
いくら二軍とはいえ、タイトルは名誉なこと。間柴茂有投手コーチにも「チャンスがあるなら投げるか?」と言ってもらっていました。しかし、有本義明二軍監督の答えは「NO」。ついでに言うと、期待の若手が派遣されるウインターリーグのメンバーに選ばれることもなく「テスト生上がりだから行かせてもらえないんだ」と、スネたりしていたのも、この時期でした。
そして王貞治監督を迎えた95年、僕はプロ野球人生の一大転機を迎えることになったのです。











