【デンジャラスクイーンの真実#12】1986年3月20日の大阪城ホール大会。私は全日本ジュニア王座に就きました。全日本女子プロレス時代に巻いたベルトはWWWA世界タッグ王座、オールパシフィック王座、全日本ジュニア王座の3本で、デビューしてから最初に巻いたのがこのベルトです。

初のベルトを手にしてVサイン(86年3月)
初のベルトを手にしてVサイン(86年3月)

 最初15人いた同期は12人に減っていましたが、その中で最初にベルトを取りたかった。そこで王座挑戦が決まってからは夜になると、1人で目黒の道場で練習をしました。道場の中はカーテンのようなものがありますから、外から見えるのは明かりだけ。誰がやってるのかなんて分かりません。カギをしめずに黙々と練習していたら、1年先輩のジュニア王者コンドル斉藤さんが入ってきたことがありました。

 その時のバツの悪さは覚えていますよ。タイトル戦で戦う後輩が、人知れず猛練習に励んでいるわけですからね。「お疲れさまです」と言ったら、斉藤さんは何とも言えない表情を浮かべて「ああ」みたいな感じでした(笑い)。

 試合のことは覚えてないですけど、全日本ジュニアを取った試合後のことは記憶に残っています。負けた斉藤さんが泣いていたようで、それを先輩たちが慰めていました。私たちの控室と廊下がつながっているので、遠くの方で、その様子が見えるのです。あれもバツが悪かった。何か悪いことをしてしまったような気分になりました。

 あのころはド新人がベルトを取ることは歓迎されていませんでしたからね。ファンの方やマスコミの方は「すごい新人が出てきた」って歓迎してくれるのですが、陰では空気が重いんです。決して先輩たちから「おめでとう」とかは言われませんでした。

 それに、チャンピオンになったからといって、新人は新人です。まだ、テーブルとイスに座ることなんてできませんし、雑用も山ほどあります。床に置いた荷物から着替えを出して、すぐにセコンドに就かないといけません。

 そのとき、荷物のところに取ったばかりのベルトも置いておいたんです。他に場所もなかったので。そうしたら「ベルトを下に置いたな!」って先輩から怒られました。理不尽といえば理不尽ですが、私のことが気に食わなかっただけかもしれません。

 ただ、みんなおもしろおかしく全女時代のイジメだ何だという話を聞きたがりますが、当時は私が17歳で、先輩といっても18、19歳です。今になって思いますと、本当に若いなって。みんな子供だったんでしょうね。そんな私も当時は子供でしたけど(笑い)。

 ベルトといえば、デビューから2年になる87年にはもっと上のベルトを取ることができたのですが、この時はタイトル戦当日にいろいろなトラブルがありまして…。