【デンジャラスクイーンの真実#11】1985年6月12日の札幌中島体育センター大会。いつものようにパンフレット売りをしていると突然「宇野!」って呼ばれました。渡された30部を売り切らないといけないので「待ってください! 売らないと怒られちゃうんで」と返事すると「いいから早く。デビュー戦だ。早くリングシューズ履け」って。同期の岩本久美子相手にデビューしました。
当時の全日本女子プロレスは、1月のオーディションを突破したら4月か5月のプロテストに合格しなくてはなりません。そこからエキシビションマッチをやり、晴れてプロデビューを果たすのです。
私と仲前芽久美は4月の予備プロテストを合格した後、すぐにエキシビションマッチに出て20分1本勝負をやっていました。控室に置いてあるノートに、その日の出場メンバーが書かれているので試合があるかがわかります。私の名前があるからエキシビションをやったのですが「いいんですか?」なんて言えないですよね。
それなのに、あるとき「何でプロテストをしてないのに、エキシビションをやってるんだ?」と怒られたのを覚えています。「私が聞きたいです」とは言えないじゃないですか(笑い)。私と仲前は4月の予備プロテストを合格し、結果的にそれがプロテストになったということです。
85年の暮れには新人王決定戦に出場し、2回戦で仲前と対戦。決着がつかず、12月12日大田区体育館大会の決勝戦の前に再戦することになりました。そこでも決着がつかず、判定勝利で私が決勝に進出しました。でも2試合ぶっ続けです。フルタイムやって「ぜえぜえ」してる中で、決勝戦の相手、坂本あけみが入場してきました。
私は心の中で「ズルいよ」って思いました。お客さんもそう思ってくれたみたいで「ズルくねえか」って応援してくれましたね。その声を聞いて「あなたがわかってくれればいいや」って思いましたよ(笑い)。
このころには応援してくれるファンの方も増えていました。85年はクラッシュギャルズの全盛期ですから、女子プロ人気がすごかったのです。でも、入門して1年はサインもダメだし、プレゼントをもらうことができません。もし、プレゼントなんかもらった日には「何スター気分になってんだ!」って怒られましたから。
年が明けて86年はアジャ(コング)たちが入ってきました。1月のオーディションの手伝いに行き、腹筋するアジャの脚を押さえたのを覚えています。でも体重68キロだった私は1年で10キロくらいやせていて、アジャが腹筋をやるたびに支えきれず「しっかり押さえろ!」って。ポニーテールだったアジャは一人だけ目立っていましたね。そんなこんなで、2年目になった私に最初のチャンスがやってきたのです。













