【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(10)】 J1広島に所属していた2012年、後に日本代表を率いることになる森保一監督が着任しました。チームは新指揮官のもとで再スタート。開幕からスタートダッシュに成功し、初のリーグ制覇に導いてくれました。

李忠成(左)の肩をもむ水本
李忠成(左)の肩をもむ水本

 森保監督体制のもと、主力だった森脇(良太)が浦和に引き抜かれながら13年に連覇を果たすと、14年シーズン前に西川(周作)、15年シーズン前には石原(直樹)さんが浦和へ移籍。毎年のように主力が抜ける中でも15年に3度目のリーグ制覇。大幅な戦力ダウンでも結果を出せたのは森保監督が若手メンバーを育成し、主力と競争させたことが大きいかったですね。チームの底上げがあっての優勝でした。

 広島時代の森保監督は選手の意欲を高めるのがうまいモチベーターというイメージです。就任が決まったときは選手一人ひとりに電話し「よろしくな」と。とても律義な方でした。それにキャンプを経て全員がいい状態で迎えた12年3月の開幕戦(対浦和)ではベンチ入りメンバー18人を「選べない」と涙を見せ「この作業はすごく難しい」と…。森保監督の人柄がわかる出来事ではないでしょうか。

 そんな森保監督は選手との距離感が近く、戦う姿勢を見せることを強く言っていましたね。厳しい状況でも「行けるぞ」と声をかけてくれましたし、勝っても負けてもいいプレーは褒めてくれる。怒られることはほぼありません。勝ってもおごらず、ネガティブにならない。本当にブレない人でした。日本代表監督に就任し、メディアを通じて発言を聞いても「変わっていないな」と感じています。

 17年には前年の得点王ピーター・ウタカがFC東京に移籍し、ずっとチームを引っ張ってくれていた佐藤寿人さんが名古屋に移っていきます。開幕前から「難しいな」という雰囲気が漂う中でシーズン途中に、塩谷司がアルアイン(UAE)に移籍した影響でチームは低迷。同年7月に森保監督は成績不振で辞任が発表されました。

 とても残念でしたし、試合に出ていた自分も責任を感じました。森保監督とは約5年半の間、一緒に戦いましたが、サッカー以外のこともたくさん学べましたし、何よりも人間性が素晴らしかった。そんな森保監督がチームを去って、僕も厳しい状況に立たされます。