【マンマーク サムライDF水本裕貴の奇跡(9)】2011年5月、頭蓋骨を骨折し開頭手術したことで人生観が大きく変わりました。担当ドクターから「生きているのが奇跡」と言われたように生死の淵をさまよった経験から、今までサッカーしか考えられなかった自分が呪縛から解放されたかのような気分になります。気負いが消え、何事にも柔軟に対応できるようになりました。
心機一転。リハビリを経て、体を慣らしながらプレーし、同年8月20日の鹿島戦でスタメンに復帰し、精神的にもいい状態で、これまで以上に安定したプレーができると実感しました。攻撃重視だった(ミハイロ)ペトロビッチ監督が11年限りで退任、12年に森保一監督が着任。これまで、ほぼやっていなかった守備面の練習も行われるようになり、すごく安心したのを覚えています。
森保監督の下でチームは開幕からスタートダッシュに成功し、勝利を積み重ねていき、僕も好調をキープ。同年にはアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に復帰します。実に4年ぶりのA代表でした。
その一方、負傷から先発復帰した11年8月の鹿島戦以降、リーグ戦でフルタイム出場を続けていました。12、13年にJ1リーグを連覇を果たすと、およそ4年後の15年5月16日、J1通算300試合出場を果たした鹿島戦でリーグ127試合連続フルタイム出場というフィールド選手(GKを除く)の日本記録を達成。同じ広島所属だった服部公太さんの126試合という記録を8シーズンぶりに更新します。
特に記録を意識したことはなく、直前にチームスタッフから聞かされて「そうなんだ」くらいにしか思っていませんでした。もともと自分が成長するため、チームが勝利するために練習に取り組んでいたので、個人記録にこだわりはなかったですね。その記録も同年8月12日の鹿島戦で途切れます。相手がすべて鹿島なのは偶然ですが、後半31分、森保監督に交代を告げられて137試合で連続フルタイム出場の記録はストップしました。
僕自身は、記録が途切れたことをほとんど気にしていなかったのですが、周囲の方々が気を使ってくれましたね。ただ次の試合に向けて森保監督から呼ばれると、途中交代の理由を説明してくれ「チームが勝つための決断」と言われました。すでに納得していましたが、配慮してくれたことが本当にうれしかったですね。










