【俺のWBC#3=糸井嘉男氏】志した地で見た景色は野球人生の「宝物」。WBCをそう振り返ったのが2013年、第3回大会の日本代表・糸井嘉男氏(41=阪神SA)だ。昨年限りで現役を引退。当時、野手では「メジャーに最も近い男」と呼ばれ、WBCは並々ならぬモチベーションで臨んでいた。結果的にメジャー挑戦の夢はかなわなかったが「今、思い返しても本当にかけがえのない経験」と自らの〝充実のとき〟を振り返った。
「まずね、この年…キャンプ直前でトレードになったんですよ」
13年、31歳でWBCイヤーを迎えた糸井の1年は〝衝撃〟から始まった。前年、日本ハムでリーグ優勝。4年連続で打率3割とゴールデン・グラブ賞、2年連続のリーグ最高出塁率、ベストナインとすでにリーグを代表する選手になっていた。その年のオフ、球団に将来的なポスティング・システムでのメジャー移籍を訴えた。しかし、それが発端となり契約更改は難航。日本ハムは「ウチではそれを実現させてあげることはできない」とオリックスと2対3のトレードを発表。1月23日の出来事だった。
その後は目まぐるしい日々。すでに日本ハムのキャンプ地・名護に送っていた野球道具を到着後、大急ぎでオリックスのキャンプ地・宮古島に転送してキャンプイン。しばらくドタバタが続いたが〝夢〟への希望だけは失ってはいなかった。
「オリックスに慣れる間もなく、WBC合宿に行きましたけど、その年は早めに始動はしましたし、合宿のときには代表に集中していました。当時、もう日本人が海を渡って活躍する時代が来てて、僕にとっても米国はあこがれの場所。WBCは第一線の人たちが集まる大会で、開幕前からワクワクしていました」
希望はむしろ〝目の前〟にある。メジャー関係者が多数、視察に訪れ、将来のチームを担う人材を発掘する機会でもあるWBCは、自らの価値を高める絶好の機会。2連覇で迎えた侍ジャパンの一員としてだけなく、一選手としても大きなモチベーション持って臨んでいた。
迎えた第1ラウンド初戦のブラジル戦。糸井は気を吐いた。初陣の硬さが目立ったチームで同点適時打に1点を追った終盤8回には、無死一塁からは「めっちゃうまいバントも決めた! 僕が犠打のサイン分からないと思われたのかもしれないですけど。ネクストから打席に行くとき、パッとベンチを見たら山本監督が(ベンチから)こうやって(バントの)構えをされて」。これが実を結び、逆転勝利すると、続く中国戦でも走者一掃の3点適時打。全3試合で安打して4打点2盗塁。続く第2ラウンドでもオランダ戦では3ランを放つなど、走攻守で躍動した。
第2ラウンド1位で迎えた米国での決勝ラウンド。将来の青写真を米国に描いていた当時の糸井の前に、あこがれの景色が広がっていた。
「もう本当に、感動しました。子供のときに野球やっていたときのような純粋な気持ちにもなりました。やっぱり本場の雰囲気は違いました。米国は僕は初めてでしたし『うわ~ここか~すげえな、天然芝や』って」
勝負とは別の〝感動〟はグラウンド外でもあった。
「まず飛行場からのバス移動! それが飛行機から降りた瞬間から! 飛行場にバスがついていて、それから警察のバイクが先導して、赤信号でも(クルマが)止まらずバッ~と行って。大統領が移動するみたいな感じ。練習試合でのアリゾナや、サンフランシスコの移動とか。全部、それ!」
あこがれのメジャーリーガーになれば、常にこれほどのリスペクトをもって、もてなされる。胸の鼓動は高鳴るばかりだった。
決勝ラウンドの地で右翼席の真後ろにサンフランシスコ湾が広がるAT&Tパークも、忘れられない思い出の地。
「いや、もうボンズの〝スプラッシュ〟の記憶しかない。狙った? 狙いましたよ! でも、広い! 練習では(スタンド)越えましたけど」
準決勝でプエルトリコに敗れ、WBC3連覇は逃したが「精いっぱいやったので、悔いはないです。シーズンじゃ味わえない緊張感だったり、気持ちの上がりかたもすごかった」。その後10年続いた現役生活でも〝世界〟を肌で感じた経験は、常に高いレベルを目指す向上心の源になっていたという。だからこそだろう。
「いろいろな理由で辞退している選手がいるって聞きますけど、僕はやっぱり経験して良かった。現役中はまたああいう経験したいって常に思ってプレーしてましたから」
今年から評論家としての第2の野球人生をスタートさせる。「今度はビールを飲みながら」。そう冗談を飛ばしつつ、かつて目指したステージを別の角度から眺め「世界一」の高みを目指していくことの意義を伝えていきたいと思っている。











