【俺のWBC#1=稲葉篤紀氏】3月にいよいよ第5回WBCが開催される。2009年の第2回大会以来、14年ぶりとなる世界一奪還を目指す日本代表へ、かつて侍ジャパンに携わったキーマンたちが当時の舞台裏を交えて熱いエールを送る新連載「俺のWBC」がスタート。第1回は09年、13年の2度のWBC出場、引退後は17年に侍ジャパン監督にも就任し、21年の東京五輪で金メダルを獲得した指揮官でもある稲葉篤紀氏(50=現北海道日本ハムファイターズGM)が登場だ。09年に盟友・イチローとともに原ジャパンでWBC連覇を達成した喜びや13年にWBC3連覇を逃した悔しさを振り返り、日の丸への思いを語った。
現在は日本ハムのGMの要職に就く稲葉氏は08年北京五輪に続き、2年連続で招集された09年と13年にWBCに出場。09年のWBC連覇、13年は準決勝敗退となったが、その後も侍ジャパンでは指導者としても活躍し、17年WBCの打撃コーチを経て、同年7月に監督に就任。21年東京五輪では、野球競技で日本代表を金メダルに導くなど、長く日の丸のユニホームでも戦いを続けてきた。
そんな稲葉氏がWBCでは「素晴らしい思い出」と振り返ったのが、連覇を飾った第2回大会。脳裏に焼きついているのが、1学年下ながらすでにMLBでもスター選手だったイチロー(マリナーズ)の存在だ。大会では不振にも陥ったが、終盤に鮮やかに復活。決勝の韓国戦での延長戦V打は侍ジャパンの歴史でも、語り草となっている。中でも稲葉氏の記憶に残っているのはイチローのブレない人並み外れた精神力の強さだという。
「イチ君はアップから何から何まで全部先頭で。とにかく自分がやるんだっていう意志を言葉じゃなく行動で。そういうものがずっと出ていた。短期決戦なんで、すぐに状態が上がるかは難しいけど、それでも絶対に準備を怠らない。誰より早くグラウンドに出て、ティーを打ったりとか。だから周りの選手からも常に認められていた。イチ君はメディアの方々から、いろんなことを言われていたけどわれわれ、周りの選手はずっと、そこについていけばいいと。そういう気持ちでやれていた」
実際、イチローの復調とともに、チームは再加速。敗れれば「敗退」となる3月17日のキューバ戦から4連勝とリーダーの復活は、WBC連覇の決め手となった。稲葉氏はさらにイチローを核として「それぞれのポジションにリーダーがいた」と振り返る。「投手なら松坂大輔(レッドソックス)、捕手に城島(マリナーズ)、内野に岩村(レイズ)、外野に福留(カブス)…そこにイチ君…」と、バリバリのメジャーリーガーの面々が、必要に応じて各ポジションのまとめ役を買って出たことで、チームがより強固になっていたと回想する。
一方でWBCに“悔い”もある。3連覇を逃した13年の第3回大会だ。山本浩二監督のもと、4番・キャプテンで阿部慎之助(巨人)が座り、稲葉氏は09年に続き最年長選手として、監督・首脳陣との橋渡し役に奔走したが「僕自身もだけど、もっと周りが慎之助を助けてあげることができなかったのかっていう。ちょっと、彼一人に背負わせ過ぎてしまった…」。結果的にも準決勝でプエルトリコに敗れ、夢散した記憶は今も苦い教訓だという。
選手として2度のWBCで得た経験値は、監督として臨んだ後の東京五輪の金メダル獲得にもつながった。“確信”を持てたのは、どんな舞台であれ短期決戦では「キーマン」と言われる選手には、試合の雌雄を決する場面で出番が回ってくるということ。しかも「個人」にとどまらず「チーム」の命運すらをも担うという意味で、だ。
「正直、これには“根拠”がないけれどね。自分がジャパンで監督のときは、山田哲(ヤクルト)がそう。(優勝した)プレミア12もそうだし、東京五輪なら同点の8回に左中間にフェンス直撃の決勝打。大会をやっていくなかで、そういう選手が必ず出てくる。(代表やチームで長くともにプレーしてきた)中田翔(日本ハム)も、ずっとそうだった。13年の台湾戦では延長の決勝犠飛だったり、プレミア12でもサヨナラ打を打ってくれたりとね」
運命か必然か。五輪でもWBCでも国際大会ではそういった“星のもと”にいる男に「大勝負」のお鉢が回ってくる。事実、侍ジャパンはそんな「歴史的一打」で勝ってきた。だから…だろう。23年のWBCで、その役割を担うであろう男の名前を口にした。
「回ってくるさ。翔平に(笑い)。必ずね。調子が良かろうが、悪かろうが…必ず。そういうもの」
稲葉氏は最後に「今回はダル、翔平、正尚、誠也…この4人がいるだけでもチームとして全然違う。09年のように投手にも、野手にもチームの核になれる選手たちがいる」と、WBCを連覇した09年の“再現”を期待した。何よりも願うのは、やはり栗山ジャパンの世界一だ。
※所属球団は当時のもの













