【平成球界裏面史 求道者マートン編】阪神の〝安打製造機〟として名を残したのはマット・マートンだ。来日1年目の2010年(平成22年)に当時のイチローの記録を塗り替えるシーズン214安打の新記録を達成し、14年には首位打者を獲得するなど大活躍を見せた。

 敬けんなクリスチャンで普段は紳士だが、一方で激情的な面もあり、球団を悩ませた。頭に血が上ると止まらない。13年9月14日、ヤクルト戦(神宮)の0―0で迎えた6回。阪神は二死二塁と先制チャンスを作り、福留の中前打で二走のマートンが本塁に突入した。クロスプレーはアウトのタイミングだったが、マートンが捕手・相川に真正面から強烈タックル。エキサイトした2人が本塁上で小突き合い、両軍ベンチが入り乱れての乱闘騒ぎを招いた。

相川(下)の待つ本塁に突入したマートン(2013年9月)
相川(下)の待つ本塁に突入したマートン(2013年9月)
直後にマートン(右)とヤクルト・相川は乱闘騒ぎ(同)
直後にマートン(右)とヤクルト・相川は乱闘騒ぎ(同)

 暴力行為で退場処分となったマートンは「野球ではよくあるプレー。ケガをさせようと思ってやっているわけではない」と話したが、翌日の試合の出場停止と罰金15万円が科せられた。この年は5月12日のヤクルト戦でも同様のプレーで捕手・田中雅が骨折。8月14日の広島戦では良川球審への侮辱行為で退場処分を受けるなどラフプレーが相次ぎ、球団も手を焼いた。

 時にそのエキサイトぶりは、チーム内に向けられることもあった。12年6月9日のオリックス戦で緩慢な守備をした際、理由を「アイ ドント ライク ノウミサン」と投手の能見が嫌いだからと発言し、波紋を広げた。報道陣へのイラ立ちを募らせてわざと吐き捨てたようだが、後日「ノウミサン ゴメンナサイ」と謝罪している。

後に「和解」したマートン(左)と能見(2013年4月)
後に「和解」したマートン(左)と能見(2013年4月)

 同年8月17日のヤクルト戦では関川浩一守備走塁コーチとの身内〝バトル〟がぼっ発した。3回にお粗末な左翼守備を連発して〝懲罰〟途中交代。不機嫌そうにベンチに座っていたが、9―7で勝利した試合後、ベンチ裏で関川コーチが声をかけたことに〝逆ギレ〟して詰め寄った。関川コーチも応戦し、不穏ムードに周囲があわてて制止に入っている。神宮のクラブハウスで約1時間の話し合いを行い、マートンは二軍落ちとなった。

 翌日に「ゴメンナサーイ」と謝ったというが、チームへの批判と取られても仕方のない行動。関川氏はその時の様子をこう振り返っている。

「日米の〝準備〟の解釈の違いを延々と話していたんです。彼は自分の守備のミスは認めているけど、〝準備〟の解釈については文化の違いもあって、終着点のない話し合いになってしまった」

 マートンに「お前の考えもわかるから、日本の考えも理解してくれ」と言っても考えを曲げなかったという。

マートン(左から3人目)と関川コーチ(同2人目)が口論に(2012年8月)
マートン(左から3人目)と関川コーチ(同2人目)が口論に(2012年8月)

 相次ぐグラウンドでのトラブルは打撃への探求心からきていると見ている。関川氏は「僕らも悩みの種でした。彼は完ぺき主義者。普通の選手なら70%ならヨシなんだけど、彼は違う。集中している時はすごいですし、打ち出したら手がつけられない。完ぺき主義者の能力があるから打撃を突き詰めるんでしょう。100か、0しかない。だから0の時ができちゃう。50くらいでもいいじゃないかとか…もったいないなと思う時もありますよ。でも、100があるから日本記録も作れちゃうんでしょう」。

〝求道者〟マートンは在籍6年間で1020安打を量産した。完ぺきを求めすぎた代償もあったが、この姿勢があったからこそ優れた結果を残せたに違いない。