南海、オリックス、ダイエーで活躍し、プロ野球歴代3位の通算567本塁打で2006年に野球殿堂入りも果たした門田博光氏が死去したことが24日に分かった。74歳だった。「不惑の2冠王」と脚光を浴びた、球界を代表するレジェンドスラッガーの突然の訃報に、球界には大きな悲しみが広がっている。
門田氏は1970年にドラフト2位で南海に入団。アキレス腱断裂の大ケガをしながらも指名打者として活躍し、81年、83年に本塁打王を獲得。88年には40歳で本塁打と打点の2冠王、MVPに輝いた。89年からオリックス、ダイエーと渡り歩き、92年のシーズンを最後に44歳で引退した。長らく糖尿病とも闘っていた。
170センチと小柄ながら長く、重いバットで全打席本塁打狙いのフルスイングが信条。オリックス時代の後輩で〝ブルーサンダー打線〟の一角を担った藤井康雄氏は門田氏のすごさをこう話す。
「寡黙で近寄りがたい雰囲気を持っていました。若い僕なんかほとんど話せなくて、見て学ばせてもらいました。小さい体なのに打席に入ると大きく見える。全打席ホームラン狙いで、打ち損じがヒットになるという考え方ですから。発想が違いますもん」と思いをはせる。
年齢を重ねるにつれて速球への対応が難しくなってくると「室内でマシンを打つんだけど、打ちながらどんどんマシンの方に近づいていく独自の練習法でした。ティー打撃も重いボールと重いバットでやる。周りの選手も取り入れていました」。その努力が実を結び、40歳での2冠王につながった。
酒豪で知られる門田氏だが、チームメートと食事に出掛けることは少なく、顔を出すのは麻雀の場くらい。大好物だったのがコーラで、試合前に飲むことをルーティンとしていた。ある日、若手の松山秀明に「3本買ってきてくれ」と命じた。松山が言いつけ通りに手渡すと、1本くれるのかと思いきや、目の前で3本を一気飲みしたという。藤井氏は「昔ながらの豪快な打者。あんな人は出てこないですよ」と球史に残る大打者をしのんだ。












