10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)について、東京スポーツOBでプロレス評論家の門馬忠雄氏(84)が大暴露だ。故ジャイアント馬場さんとタッグを組んでいた1960年代、猪木さんは担当記者やカメラマンとも親密交際していた。タイトル戦前夜の〝徹マン〟事件など業界の「ご意見番」としても有名な門馬氏が〝燃える闘魂〟の知られざる秘話の数々を公開した。
――猪木さんはメディアとの付き合いが上手だった
門馬氏(以下門馬)まず前提として、取材される側は意外とカメラマンに警戒心ないんだ。われわれ取材する側の記者が知らないこと、人間の本質的な部分をカメラマンにはさらけ出すんだ。東スポの米国駐在員だった芳本栄カメラマン(故人)は、米国に修行に来たばっかりで、何も知らない猪木と意気投合してあちこち歩いたんだよ。
――猪木さんの世話係だった
門馬 ラスベガスで猪木と遊んで、スッカラカンになってお金がなくなって、2人でアイスクリームなめながら、バスで帰ってきたらしいよ。「ラスベガスから、ロス行きのバスなんてあるのか?」と聞いたら「あったんだ」と。それを聞いて、おかしくておかしくて…。それくらいの仲で、お互いに苦労したから芳本と猪木って特別な関係なんだよ。
――猪木さんを呼び捨てにしていたとか
門馬 酒の席だけど、取材する側で猪木のことを「イノキ!」「寛至(猪木さんの本名)!」と呼べるのは芳本と鈴木晧三カメラマン(故人)だけ。面白い関係だったんだよ。芳本が亡くなった時も、猪木は「お墓参り行きたいなあ」って言ってくれた。私は猪木とプロレスの話をしたことがなくて、友だちの話とか女性関係の話しかしなかったから。鈴木には面白い話があってね。
――鈴木カメラマンも猪木さんとは親しかった
門馬 昭和43年(1968年7月29日)に札幌(中島体育センター)であったインタータッグ選手権(ジャイアント馬場、猪木組 vs レイ・スティーブンス、スカル・マーフィー組)の前の晩、日本プロレスの定宿だった旅館「山一」で、馬場は徹夜でマージャンやっているんだよ。
――馬場さんが…
門馬 馬場と猪木は防衛して、5度目の防衛戦(同年8月9日、田園コロシアム)は格上が相手(ブルーノ・サンマルチノ、スティーブンス組)なので、私は(会社から)「2人の抱負と北海道らしい風景を撮ってくれ」と指示を受けたんだ。それで前の晩に馬場、猪木と取材の約束をしたんだ。でも、徹マンやっているんで、馬場は起きられなくて…。それで猪木は起きてきて、馬場が徹マンやっているのを知っているから「(馬場さんを)起こせよ、起こせよ!」って、鈴木をけしかけたんだ。
――それは逆では…
門馬 猪木はマージャン、やらないから。そうしたら、鈴木は馬場の布団を本当にはがしたんだよ。人気絶頂の頃だからね~。度胸あるなって思ってたら、馬場がヌーッて起きたんで、猪木はさっさと逃げていったよ(笑い)。
――それは面白い
門馬 馬場は(門馬氏との約束を)守らなかったんだから、怒らなかったけど…猪木が鈴木をけしかけってこともわかってなかったみたいなんだけどね。やっぱりあの2人は仲は悪くなくて、ケンカしたことも見たことない。あの頃の猪木は馬場を立てていたし、自分を(馬場さんの)「下」なんだなと思っていたんだよ。












