【今村猛 鉄仮面の内側(10)】2年目の2011年シーズンはいろんな経験をさせてもらいました。4月、19歳最後の夜にプロ初勝利。交流戦では7番・DHで野手としてスタメン出場。そして、勝っていても負けていても、どんな場面でも登板する役目を与えられ、プロの投手としての経験を積んでいきました。
少しずつ結果を残し、少しずついい場面での登板を任せられました。そしてシーズン終盤には守護神のサファテの代役という重要な仕事を任せてもらえるようになりました。
サファテといえばソフトバンク時代の17年、日本記録のシーズン54セーブを記録した球界を代表するクローザーです。カープ在籍1年目だった11年も35セーブと大活躍でした。
そのシーズンのサファテは試合中に体調不良となり、戦線離脱でシーズンを終えることになったんです。代理守護神となった僕は10月8日のヤクルト戦(神宮)でプロ初セーブを挙げることになります。
3点リードの9回に登板し2奪三振を含む三者凡退。終盤の逆転勝利に貢献することができました。20歳5か月でのセーブは、97年の横山竜士さんの21歳2か月を抜いて球団最年少記録ということでした。
記録なんてまったく意識もしていませんし、記者の方から質問されたときにも「そうなんですね」くらいのリアクションだったと思います。
シーズンスタートは先発ローテ候補として一軍帯同。そこからどんな場面でも準備して中継ぎとして投げさせてもらいました。段階的にセットアッパーのようなポジションを任せてもらい、最後は代役ですがクローザーも経験させてもらいました。
正直言って守護神という立場の重さとか、他の投手の方々の白星を消してしまう恐怖とか何も分かっていませんでしたからね。でも振り返ればすごくいい経験をさせてもらったと思います。
このころの投球スタイルはストレートとスライダー。シュートも少しは投げていましたね。この後くらいから投球の幅を広げようと徐々に球種を増やしていきました。2年目に経験した54試合のおかげで自信がついたと思います。
3年目の12年には自己最多の69試合に登板し2勝4セーブ26ホールドで防御率1・89という成績でした。5月22日のソフトバンク戦から29試合連続無失点の球団記録を達成することもできました。
でも、僕の中ではまだ投球スタイルとしては完成形ではなかったですね。ただ、振り返ってみるとこの時期が、僕の中では最もボール自体に力があった時代だなと思います。
ファンの方々は順調に階段を上がっていくように見ていただいていたかもしれませんが、まだ3年目の若手です。基本的にブルペンでは、どう転ぶかわからない試合でも肩をつくったりしていましたよ。逆転につぐ逆転なんていう展開のときには本当に何度も投げたり、それでも出番がなかったりもしたものです。
21歳の若者がフル回転する姿は大人の目に留まったのでしょう。このシーズン、僕は日本代表にも選んでいただくことになりました。











