【今村猛 鉄仮面の内側(9)】 2年目、2011年シーズンは自分にとって飛躍の年というふうに映ったと思います。54試合の登板で3勝2セーブ。前年のルーキーイヤーには2試合と、ほぼ何もできないままに終わっていましたから。

 開幕ローテこそ逃したものの、4月16日の巨人戦(マツダ)では、ロングリリーフでプロ初勝利。それが19歳最後の日でした。

 実は状態が万全というわけではありませんでした。右肩に違和感があり、だましだましの状況。チーム方針としては先発で育てようとしてもらっていて、基本的には先発調整をしていました。

 そして5月20日のオリックス戦(京セラ)で事件が起こります。登板予定はなく普通に先発としての調整をグラウンド上でしていました。すると、野手担当のコーチから声がかかりました。

 もう練習の終わり際でしたね。ビジターなので午後5時くらいだったでしょうか。「ちょっとバット振ろうか。きょうスタメンだから」と。

 え、ウソでしょ。そんなの普通は信じませんよね。そしていざ、試合が始まるという流れで場内放送もしっかり流れました。「7番・指名打者・今村」と。

 まだ予告先発ではなかった時代です。首脳陣としては僕を偵察要員と考えて7番・DHに入れたつもりだったそうです。ただ、野球規則では指名打者のケースは、少なくとも一度、相手先発投手に対し打撃を完了しなければいけないというルールが存在しました。

 それを失念していたということなんですが…。そんなことを後からごちゃごちゃ言っても仕方ありません。試合はもう始まっています。

 第1打席は2回一死一塁の場面で回ってきました。普通に一塁側に送りバントを転がすことができました。オリックスの先発は木佐貫洋さんでした。きれいな回転のストレートでバントしやすかったのを覚えています。

 結果的に犠打の場面だったので何も影響はなく終わりました。しかし、あれが絶好のチャンスとかだったらどうなっていたのか。それは分かりませんが、僕はエンゼルス・大谷翔平くんより先に二刀流をやったことになるんですかね。

 今となってはすごいエピソードですね。5回の第2打席では石井琢朗さんが代打で出場してくれました。

 このころまでチーム内では先発要員ということで調整を続けていました。それがこの交流戦のあたりから中継ぎの調整をするようになっていきました。負けていても同点でも勝っていても、この時期には投げさせてもらっていましたね。

 そういった中で結果を出しチャンスをつかんでいくのが本来のプロ野球の世界です。少しずつ実績を積んで、勝ちパターンで投げさせてもらう機会が増えていきました。
 そんな中、シーズン終盤に入ってきて守護神だったデニス・サファテが戦線離脱することになりました。来日1年目だったサファテは35セーブ、防御率1・34と大活躍でしたが、体調不良で登録抹消。なんとその代役に抜てきされたのが僕でした。