【石毛博史コラム 火消しは任せろ(21)】 阪神1年目の2003年は17試合に登板し、中継ぎや敗戦処理を任されました。年齢も33歳くらいでスピードもそこまで出ないけど、近鉄時代の対打者の理論を駆使しながら必死に頑張った。あまりプレッシャーのない場面で投げさせてもらったり、先発の早崩れで後ろにつなぐ役割とか、結構やりがいがあった。

 7月に一軍に上がった時はチームがだいぶ勝ち越していて、優勝に向かっていました。そんな空気の中に入っていけるというのが幸せだったし、盛り上がりもすごかったですよ。優勝が決まった9月15日は名古屋から移動日なしで甲子園で広島戦。新幹線で新大阪に着いたらファンであふれ、VIPが使う通路で外に出ました。星野仙一監督が「甲子園で決めるぞ」って言ってたし、長嶋茂雄さんの「10・8」の「勝つ勝つ勝つ」じゃないけど、雰囲気づくり、選手の奮い立たせ方が上手でした。洗脳されたというか、選手がその気になりました。

 優勝が決まれば大阪のリッツ・カールトンホテルでビールかけ。あそこでビールかけなんてすごいことですし、みんな「リッツだぞ」ってその気になって。試合は2―2で迎えた9回に一死満塁から赤星憲広のタイムリーでサヨナラ勝ち。マジック1となり、その後にヤクルトが負けたことで優勝が決まった。すごい経験ができたし、ずっと最後まで一軍にいれた。日本シリーズのダイエー戦も第2戦と第6戦で登板できた。前年までパ・リーグの対戦相手だったので投げやすかったです。

 驚いたのは、日本シリーズを最後に星野さんが辞められたこと。体が悪いというのは聞いていたし、中にいて分かっていました。初戦の前に福岡に移動し、ホテルの宴会場にみんな集められたんです。勇退の報道が出たことで星野さんは「すまん。こういうことが出てしまって申し訳ない」と、涙ながらに謝られた。それで選手は花道つくろう、と一丸となったんです。

 結果は3勝4敗に終わり、惜しくも日本一にはなれなかったけど、「この人のために」という気持ちで戦った。思っていてもなかなかプロではそんな気持ちにはなれないし、味わったことのない強い感情だったと思います。前年度が近鉄で戦力外通告ですから天と地、すごい1年でした(笑い)。

 優勝パレードは神戸と大阪の御堂筋。土砂降りの雨にもかかわらず、たくさんの人が集まってくれて「ありがとう、ありがとう」って。野球やっててよかった~って思いますよ。巨人時代の銀座パレードもすごい人でしたけど「おめでとう、おめでとう」なんです。阪神はより身近に感じてもらえていたと思う「ありがとう」。勝っても負けても応援してくれるし、あったかい。ヤジも愛のヤジ。負けると翌朝の朝飯がまずくなるって(笑い)。昔は巨人が負けると家のお父さんの機嫌が悪いという時代もあったけど、阪神はその上を行ってますね。