【取材の裏側 現場ノート】アントニオ猪木さんが引退して3年後の2001年2月18日。新日本プロレス両国大会で、猪木さんはなぜか〝ホームレス〟の衣装に身を包んでリングに上がった。後に獣神サンダー・ライガーがこの衣装に意見を言ったことを明かすなど〝ホームレス〟ばかりが振り返られるが、猪木さんがこの格好で発表したことを覚えているだろうか。
「マイク・タイソンからファクスが来ました~!」
多くの観客は「?」と思ったことだろう。猪木さんによると、タイソン側から試合のオファーに関するファクスが届いたという。関係者は「6月の東京ドーム大会」にボクシング元統一ヘビー級王者が参戦すると言い、ホームレス姿と相まってまさに「仰天発表」となった。
実は、記者も前年から「猪木さんがタイソンを日本に呼ぼうとしている」との情報はつかんでいた。ただタイソンは1992~95年までの3年間、刑務所に入っていただけに、当時の関係者は一様に「法律上、日本に入国できないでしょ」。それに関しては猪木さんに〝奥の手〟があるのもわかっていたが、どう見ても「実現不可能」だった。
それが一転、リング上で発表となったからには、何か大きな進展があったに違いない。すぐに、米ロサンゼルスでタイソンとの交渉にあたっていたとみられる関係者に国際電話を入れてみた。
「ええっ!! 発表しちゃったんですか?? 交渉はしていますけど、何も決まっていませんけど…」
対戦候補の最有力に浮上していた暴走王・小川直也にも連絡したところ「やれるならやりたいよ…としか言えないだろ」と珍しくつれない返事。当事者たちがこうした反応なのだから、結末は予想通りだった。
それでもこの年の秋、報道各社を集めた猪木さんは自身とタイソンとの2ショット写真を配布。これで再びタイソン招聘が浮上したのだが、当時関係者に聞いたところでは、猪木さんはこの2ショットを撮るためタイソンのジムで数時間待機したのだという。天下のアントニオ猪木がそこまでしながら、タイソンVS暴走王も、タイソンVS藤田和之も、タイソンVSヒクソン・グレイシーも実現することはなかった。
結局いつも通り、われわれ報道陣は猪木さんの掌(たなごころ)の上で転がされただけなのだが…その後、ご本人はこう振り返っていた。
「オレのやり方は、まずは先に発表して世間を動かす。実現するかどうかは別のことだ」
いやいや、違うでしょ…などとは言ってはならない。それが「猪木流」だからだ。
(元猪木担当・初山潤一)












