【プロレス蔵出し写真館】銀の龍の背に乗ってぇぇ 運んで行こう雨雲の渦を~♪ 中島みゆきの名曲「銀の龍の背に乗って」。

 この曲が主題歌のフジテレビ系の人気ドラマ「Dr.コトー診療所」(2003年7月から特別編も含め、06年12月まで放送)の続編が、16年ぶりに劇場版として今年12月16日に公開される。出演キャストが16年前と同じというのがミソで、今回をもって物語が完結するようだ。

 このドラマにはプロレス界を引退して、芸能活動を行っていた船木誠勝が漁師役で出演していた。第10話「この島を出て行け」では船木がメインで扱われ、セリフも多かった。劇場版での出演シーンは果たして…。

 船木は04年8月10日に放送されたTBS系水曜プレミアの4話オムニバス「昭和~時代からの遺言~」の1作「昭和を生きた強き男 父・力道山」で主役・力道山役を熱演。06年に公開された映画「力道山」にも出演した。

 しかし、07年7月16日、HERO’Sの横浜アリーナ大会で現役復帰を宣言。現在はフリーとして様々な団体に上がっているのは周知のとおり。

 さて、今から34年前の88年(昭和63年)10月23日、西ドイツ(当時)のハノーバー・トーナメントに出場していた、船木を取材。まだ船木優治だった。若手時代は短髪だったが、髪を伸ばしロングタイツで頭にハチマキを巻いて登場。ビジュアル的にも大人っぽく成長していたのには目を見張った。

 欧州ではプロレスがキャッチと呼ばれラウンド制、ダウンした相手を攻撃してはいけないという独自のルールにも違和感なく適応し、新日本プロレスのスタイルを披露。

 少年ファンにサインを求められるとサインペンで頬にサインする〝ふり〟をしておどかすなど、ちゃめっ気も健在だった(写真)。

 そんな船木を藤波辰巳(現・辰爾)が訪ねて来たのは翌24日。この年の5月に新生UWFを旗揚げした前田日明が、秋に渡欧して船木を勧誘した。移籍を危惧した新日本の意図なのは明白だった。船木は空港で出迎え、会場横の住居としていたキャンピングカーで談笑した。

 藤波との絡みでは終始笑顔、いたって自然体で移籍問題に揺れ動いてる雰囲気は皆無だった。船木の気持ちはすでに固まっていたのだろう。翌89年4月6日に帰国してからも熱心に慰留されたが、前田がアントニオ猪木と直接会談を持ち、UWF移籍が容認され円満退社した。

 欧州でたくましくなった船木を見て、将来のエース候補と確信し、同期の「闘魂三銃士」武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也としのぎを削る船木を想像していただけに、この移籍は残念だった。

 ところで、船木の取材では3日間滞在し、様々な写真撮影に協力してもらい、ハノーバーの街も案内してくれ堪能させてもらった。帰国後、撮影した写真をプリントして送ると、しばらくしてブレーメンの船木から礼状が届いた。

若さ全開の船木(88年10月24日、西ドイツ・ハノーバー)
若さ全開の船木(88年10月24日、西ドイツ・ハノーバー)

 それまで、選手に写真をプレゼントして礼状をもらったという記憶はなかったので、ちょっとしたうれしい驚きだった。

 船木が開設しているユーチューブチャンネルは質問フォームに答える形で、真摯に対応しているのが印象的。その土壌は34年前からあった(敬称略)。

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