〝マット界随一の偏屈者〟こと鈴木秀樹(42)が、1日に亡くなった〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)について語った。IGF時代、猪木さんが新人たちに見せていた素顔とは…。

 鈴木は9日、天龍プロジェクトの後楽園大会でタッグ戦に出場し、全日本プロレスの田村男児を人間風車で投げて勝利。試合後には試合で激しくやり合った葛西純からシングル戦を求められ「昔から刺激を受け続けているので、先輩から言われたら断れないですよ」と応じた。

 2008年11月に28歳で猪木さん率いるIGFのリングに上がり、デビュー。当時の猪木さんは65歳で選手を直接指導することも少なく、若手選手たちにとってはまさに「神様」のような存在だった。鈴木は「僕は末端だったんで…。猪木さんがIGFを作ってなかったら、僕はプロレスラーになれていませんでしたから」と振り返る。

 だが、神は神でも決して遠い存在ではなかった。「天と地ほど立場は離れてましたけど、すぐ降りてきてくれるんですよ。神様だけどドアは開けっ放しというか。特に練習場とかマットとかになればなるほど話しやすい空気を作ってくれました。道場でも数回でしたけど、押さえ込みの練習をやってくれたりとか」と、当時は若手にとって〝距離の近い神様〟だったという。

 そんな鈴木が試合に向けて唯一、個別でアドバイスを受けたのが2011年のピーター・アーツ戦だった。その内容は「当たらなくてもいいから最初に浴びせ蹴りを打って先手を取れ」「時間がたってから相手がロープエスケープしたら、5カウントギリギリまで離さないで蹴ってダメージを与えろ」という2点。鈴木は「その通りやったら、初めて(観客が)沸いたんです。僕、その時はまだデビューして10試合もしていなかったんですけど、全く試合が沸くようなことがなかった。だから『プロレスをやって、こんなに沸かせることができるんだ』と思ってビックリしました」と明かす。そして「具体的なアドバイスが…っていうよりは、きっかけを与えてくれたんだと思います。『気付き』ですよね。といっても、それをまだ完ぺきにつかんだわけじゃないし、これから時間もかかると思いますけど」と話した。

 直系の弟子のみならず、様々な選手にその影響を残した猪木さん。亡くなっても、その〝遺伝子〟は様々に形を変えて残っていく。