〝野獣〟藤田和之(51)が、1日に心不全で死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)に哀悼の意を表した。猪木さんの入場曲「炎のファイター」をオーケストラバージョンで継承する「最後の闘魂伝承者」として、師匠から学んだものは何だったのか。野獣は「4本の柱」「狂気と理性」「情報戦」という〝猪木イズム〟の根幹となる教えを明かした。

 藤田は、猪木さんの死から一夜明けた2日に東京・港区の自宅に弔問に訪れた。「穏やかなお顔でした。感謝以外に何もないです。自分は最後まで出来が悪い弟子でしたが、今があるのは会長のおかげなので」と頭を下げる。

 さらに「自分が言うのもおこがましいですけど、最後まで看病してくださった方々に心から感謝しています。これだけ恩があるのに、自分は何もできなかった…。だから、本当に頭が上がらないです」と24時間態勢で介護にあたったスタッフへの思いを口にした。

 かねて自らを「出来の悪い弟子」とする藤田には、「与えられた仕事に対して、会長が思っている以上の結果を出していない。絶対にそこまでいっていないと思うんです」との自戒の念がある。

 だが、それは自身に厳しい目を向けるからこそだ。1993年に日大を卒業してから新日本プロレスに職員として入社し、96年にプロレスデビュー。猪木さんの最後の付け人を務め、2000年には師を追って猪木事務所に移籍し、薫陶を受けてきた。

 その一部を「例えば『プロレスの4つの柱』とか。柱っていうのは受け身、技術、表現力、そして信頼関係。言葉としては分かってますけど、ちゃんとできたかというと…」と苦笑いしつつ明かす。

 さらに「あとは『狂気と理性を持って臨むのがリングである。99%の狂気と1%の理性』とか教わったんですけど、会長が首を縦に振るほどの成果は上げられなかったです」と続けた。

 00年1月のハンス・ナイマン戦からスタートした総合格闘技戦でも金言を授かった。1976年6月にモハメド・アリと戦い、現在の総合格闘技の礎を築いた師匠から「技術なんて、どこでも同じことをやっている。大事なのは精神状態だ」「体のありとあらゆる部分を武器に使え」という言葉とともに「相手の情報を取れるだけ取れ。格闘技は情報戦だ」との助言を受けた。

 その「情報」とはリング上での得意技や癖だけではない。「私生活からも情報を取れと。『それが勝利につながる。相手は人間なんだから』というのは、いつもおっしゃっていました。例えば何の病気を持ってるかとか、酒癖はどうなのか。私生活で置かれている状況や精神状態、女性関係だとか、調べられるだけ調べろと。『必ずそこに活路がある』というのは、おっしゃられていました」

 代名詞の「元気があれば何でもできる」からも分かる通り、大胆で度量の大きい猪木さんだったが、こと格闘技戦に関してはきめ細かい準備をしてリングに上がっていたということだ。

 最後に藤田は、継承した入場曲「炎のファイター」についても語った。同曲を使い始めた00年5月のマーク・ケアー戦当時を「それだけ大きいものを背負わせていただくということを、会長からしていただいて…。当時は『プロレスの中で〝魅せる〟ということにおいて、会長の期待に応えられない自分ができるのは、格闘技の中で結果を出すことだけだな』と思いました。そういう意味で、必死にやらせていただいたというところですかね」と振り返る。

「これからも、許される限り使っていきたい」。野獣は師の教えを胸にリングに上がり続ける。