【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(22)】 1990年代は西武黄金期。西武を倒さないことには優勝なんてできないので、仰木彬監督も近鉄球団も「打倒・西武」で燃えていました。監督はマスコミを使って西武をみんなで叩こう、と「西武包囲網」を呼びかけたりしてました。気持ちが違ったし、僕も強い思いを持ってブルペンで準備します。打てないかもしれないし、抑えられないかもしれないけど、絶対に勝とうって。

 監督は練習の時からピリピリして雰囲気が違う。データに目を通し、西武戦に強い山崎慎太郎さん、野茂英雄さんとか特定の投手をあてていく。西武は清原和博さん、秋山幸二さんとか、シュート系、カーブ系を嫌がる打者が多かったので慎太郎さんが相性よかったんです。最後まで投げる野茂さん以外の日は、僕も全部投げるつもりでいました。

 先頭の辻発彦さん、平野謙さんは何とか抑えられても、清原さん、秋山さん、デストラーデのクリーンアップは長打があるので神経使います。清原さんはインサイドを突いて外にスライダーという攻め方。対応されてもシュート系が多く、インサイドはストライク、ボールは関係なしに攻めていました。

 当ててもいいから内角を攻めろ、というのは89年までいた権藤博投手コーチが徹底してよく言っていたことですが、やめられた後も西武戦に限ってはその意識で行ってました。当たっている人も結構いたし、すいませんと言うしかない。

 西武の選手はみんな自分の役割を分かっていた印象です。辻さんは打つけど走るわけではなく、平野さんは送りバント。クリーンアップは強力で石毛宏典さん、下位の伊東勤さん、田辺徳雄さんが何をやってくるか…という具合だった。気の抜けない打者ばかりですよ。

 先発も渡辺久信さん、工藤公康さん、郭泰源さん、リリーフも7回が杉山賢人さん、8回が潮崎哲也さん、9回が鹿取義隆さんで決まっていたし、森祇晶監督は特にやることなかったんじゃないかなって。普通にやってたら勝てるチーム。監督の仕事ってあったのかなあって思うくらい(笑い)。

 90年から5年連続でリーグ優勝し、3年連続で日本一。近鉄だって優勝してもおかしくないチームなのに西武がいるんで2位とか3位止まりで上に行けない。絶対勝とうと毎年思うのに勝てない。ウチだけ頑張っても、ロッテとか日本ハムが弱かったからもっと西武を叩いてほしかったですよ。それで包囲網しようと仰木さんは思っていたんでしょうし、西武戦はお客さんもそれなりに入るから監督もマスコミにリップサービスして盛り上げていました。

 その一方で94年にオリックスにイチローという選手が現れた。最初はあんな打ち方もあるんだな、変わった選手だなというくらいの印象でしたが、どんな球でもヒットにする技術を持っている。これは打たれてもしょうがない、と思っていたら…。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。