【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(7)】1994年は4月9日の西武との開幕戦で逆転満塁サヨナラ本塁打を浴び、翌10日も打たれて負け投手。波乱のスタートになりました。メンタルの大切さを痛感し、それ以降は「抑えなきゃ」じゃなく「勝てばいいんだ」と改めて思うようにしました。それをシーズン通してできたと思います。

 近鉄と西武、オリックスの三つどもえとなって最後はオリックスと同率の2位。西武に7・5ゲーム差をつけられた。鈴木啓示監督と選手の間に溝が広がり「監督が辞めるんじゃないか」なんて噂が立つとみんな張り切って連勝したり(笑い)。僕は45試合に投げて9勝4敗、24セーブ、防御率1・82で3年連続で最優秀救援のタイトルを取れた。開幕でいきなり打たれはしたけど、みんなが打ってくれて勝ちも増え、防御率を見ながらタイトルを取るつもりでやってましたね。

 監督と選手の間には溝があっても、やることはやろうと思っていました。監督に何か言われても聞いたふり、やったふりとか…うまい方だったかもしれません(笑い)。いろいろあってもプロとして使ってもらえることには感謝ですよ。

 オフには野茂英雄さん、吉井理人さん、阿波野秀幸さん、金村義明さんらがいなくなってしまった。僕は疲労が蓄積していたのか、翌95年は背筋を痛めてしまったんです。肩甲骨も硬くなっていて、ケアが足りなかったのかもしれない。肩もキャンプから違和感があって、マッサージも入念にやってたんですけど、これまでと比べておかしくなった。ふくらはぎも痛めてしまって思うように走れないし、コンディショニングをやってくれていた立花龍司さんもやめちゃったし…。もう休めってことかなあって。

 暗黒期でしたねえ(笑い)。その年は背中の硬さが取れず、ごまかしながら投げて28試合で1勝8敗、13セーブ、防御率3・29。ずっと思うように投げられず、いろんな治療をしても肩、ヒジに負担がかかっていたと思います。8月、7連敗を喫したタイミングで鈴木監督が休養。僕は「また体を戻してやりたい」一心で翌年につなげていきました。

 新監督の佐々木恭介さんも信頼してくれていたし、自分のやることは変わらない。96年は44試合で9勝4敗、21セーブ、防御率2・09で4度目の最優秀救援を取れた。復活はできてもしっくりこない感覚があった。92年、93年と比べて球速も落ち、スライダーのキレも良くない。軌道が膨らんで大きくなって打者が見えやすくなったと思う。打者の手元でギュンって曲がるんじゃなく、早めに曲がってしまう。真っすぐ、シュートよりもスライダーでかわすような投球になっていきましたね。基本はストレートだったのにスライダーで内野ゴロを打たそうとか。仕留めるんじゃなく、打ってください、みたいな…。あとは連続でタイトルを取ってきた「名前」で抑えてた(笑い)。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。