【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(5)】 1992年はリリーフで50試合に投げて11勝4敗、22セーブ、防御率1・80で最優秀救援と最優秀防御率のタイトルを受賞。ロングリリーフだったので投球回が130回に到達できました。

 僕のフォームって疲れにくかったと思うんです。ヒジの使い方がきれいとよく言われたし、柔らかく投げるタイプなので体に負担がかからず、連投もいけた。力まずにゆったりと投げていても、ボールは来てるぞ、みたいなね。力んでいたら1年持たないし、リラックスしながら投げていたのがよかったですね。ハマの大魔神・佐々木主浩さんとか他球団にいい抑え投手がいたけど、意識することはなく、自分の数字のことだけ頭にありましたけどね。

 ルーキー時代、一軍に上げてくれた仰木彬監督と権藤博投手コーチは「赤堀のフォームを触るな」と周りのスタッフに通達してくれ、投球のことは自分でいろいろ工夫してきました。2段モーションもそう。プロ1年目に体が前に行ってしまう傾向があって、体が先に突っ込んでしまい、ボールが後から出てくるのでタイミングが悪いと感じていた。立った時に足を止めることを意識し、体力がついてきたらそこでもう一度、足を上げる形にしたんです。2年目から2段モーションのフォームにしたわけですけど、それも自己流だし、コーチから何も言われることはなかったです。

 92年は2位に終わり、その仰木監督が辞任され、新監督は鈴木啓示さんになりました。93年もやるだけだと思っていたんですけど、鈴木さんは走れ、走れの監督でいろんな指令が出る。みんなその方針に反発しながらやっていて、僕もそう思いながらやっていたかもしれません。

 それでも使ってもらっている以上、やることはやらないといけない。その年も46試合に投げて6勝6敗、26セーブ、防御率1・52の好成績で2年連続の最優秀救援投手を獲得できた。1・52は自分でもすごいなって思いますよ(笑い)。自分が一番だぞっていうのはあんまり思ってなくて、これからもずっと投げなきゃいけないという気持ちの方が強かったですよ。

 印象深いのは球宴で中日・落合博満さんと対戦したこと。大打者だしうれしい気持ちもあったし、生きたボールで抑えたい気持ちもある。ファウル、ファウルで粘られ、フルカウントからシュートが真ん中に入って本塁打にされました。簡単に打たれたんでやっちゃったなあって…。

 翌94年、4月9日の西武との開幕戦がとんでもないことになった。エースの野茂英雄さんが8回までノーヒットノーラン投球を続け、9回に石井浩郎さんの3ランが飛び出した。鈴木監督は「この試合は野茂と心中や」と公言しているし、当然、僕の出る幕はなく、野茂さんの偉業が達成される…。するとその裏にまさかの事態が起きた。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。