【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(28)】BCリーグの新潟アルビレックスでは監督として2015年に東地区の前期優勝、後期が2位。3年ぶりのリーグ優勝を果たし、愛媛とのグランドチャンピオンシップでは2勝3敗で敗れました。2連勝しながら3連敗だったんで、巨人に3連勝して4連敗した1989年の近鉄みたいでしたよ(笑い)。シーズン中は良かったけど、最後はケガ人が多くて戦力的にきつかった。それに選手はバスで10時間の移動で新潟から愛媛まで来ていたので疲れもありましたよ。
監督業は全部自分で自由にサイン出して動かせるので面白かった。カウントで相手バッテリーの配球見てエンドランさせたり…。選手も応えてくれたし、采配がハマって勝てたら最高ですね。リーグ優勝できたのも僕自身初めて。近鉄時代の2度の優勝は現場にいなかったし、胴上げされるのは格別でした。
2年目の16年は前後期3位で優勝を逃したんですが、僕は翌年も新潟で続投する気で球団も発表した。11月に千葉で独立リーグスカウトを対象としたトライアウトがあったんです。そこに車で向かっていたらヤクルトのシニアディレクターの小川淳司さんから電話があった。
「来年はどんな話になってますか」と言うんで「来年も新潟でやることが決まっています」「二軍コーチでやってほしいと思っていたんですが」「あ、そうですか…」。いい話と思うじゃないですか(笑い)。それで新潟の社長と話し、「NPBならチャンスなんで行ってください」と言ってもらえたんです。ホントはまずいんだけど、悪いなあと思いながら続投の後に辞任にしてもらいました。
あの近鉄の赤堀がなんでヤクルト?って周囲によく言われましたけど、僕も分からない(笑い)。電話がかかってきただけですよ。ヤクルトでは高津臣吾二軍監督との出会いがありました。高津監督も新潟の監督経験があったし、同じ抑えの右腕。共通項は多いけど、話したことはなかった。いろんなことを考え、話がうまいです。
野球頭が選手優先。コミュニケーションをずっとし、話しかける。投手の使い方というか、高津監督もリリーフ陣がブルペンでの肩をつくるのは一度だけという考え。一度つくってやめてもう1回というのはしなかった。観察力も僕より細かく、鋭かったですね。もちろん野村IDで育った人なんだけど、去年、今年の戦い方を見ていると選手を休ませる試合もあるし、独自のやり方をしているのかなって思います。ルーキーの村上宗隆もいました。三振もするけど、パワーがすごくて逆風なのにレフトにライナーで叩き込む。これは全然違うなって。性格も「振る」ということに真面目で、そのころはボールの速さに慣れるまでは引っ張れず、逆方向が多かったですね。育成プランをこなし、順調にいけたと思います。
☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。












