【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(14)】2004年は球界再編問題が起こり、近鉄はオリックスに吸収合併される形で消滅。それまでの経緯の中で「これはマジでなくなるんじゃないか」と冷静に見てました。
最初にネーミングライツの話があって6月あたりから合併の流れになって…身売りはあっても合併なんかあるんかな、とか二軍にいてもそんな話ばかり。自分はクビになるかもしれないと思っていたので、合併球団でまだやらせてくれないかなあ、とか。
大阪ドームはお客さん少ないし、近鉄はずっと赤字。だんだん日がたつにつれて現実になっていって…仕方ないことだけど、悲しいですよ。9月27日の神戸でのオリックス戦が近鉄のラストゲーム。僕は呼ばれていなかったですけど、梨田昌孝監督が選手を集め「みんなが永久欠番だぞ」って伝えていました。
プロで近鉄一筋だったので、家がなくなる感じですよ。ヨソに行ったとしても戻る家がない。僕はシーズン後に戦力外を言い渡され、まだトライアウトを視野に入れていたので引退試合もなしです。そこで引退を決めていればセレモニーや会見をやってくれていたでしょうけど、まだ続けるつもりでいたからしょうがない。近鉄もなくなるし、どう転んでもセレモニーはできなかったかもしれません(笑い)。
近鉄での16年間、いい現役生活を送らせてもらいました。最後の何年間かは十分できなかったけど、悔いはない。一軍でやっていけるなんて思っていなかった僕を監督、コーチがうまく使ってくれたからこそ、成績を残せた。濃い時期があったから最後にケガに苦しんだのかもしれない。でも、細く長くやっていたら最優秀救援のタイトルを5回も取れなかったでしょう。だから濃い時期が短くても悔いはありません。今の時代にないロングリリーフが僕の与えられた場所。入団時からフォームを触られず、自由にやらせてもらった。2段モーションにしても何も言われなかったし、ホント指導者、先輩たちに恵まれたと思います。
ただ…近鉄一筋だったのでセ・リーグの野球はどうだったのか、はちょっと思ったかな。1994年か95年くらいに巨人とトレード話があったらしいんです。巨人が抑えが欲しかったらしくて僕と巨人の2選手とのトレードだったみたいです。折り合いがつかなくて立ち消えになりましたが、もしかしたら巨人の選手になっていたかもしれない。トレードがイヤとかはないし、必要としてくれているところでやりたい。その意味では近鉄に一番必要とされていましたね。
もちろん満員のお客さんの前でプレーできればいいけど、逆に人気球団だと規律があってきちっとしないといけないし、いつどこで見られているかわからないでしょ。近鉄は自由で気を使うようなことはなかったですもん。セ・リーグの環境だったら同じような成績を出せたかはわからないですよ。
☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。












