【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(11)】2001年4月8日のオリックス戦で723日ぶりの白星をマーク。スライダーだけでなく、フォーク、カーブといろんな球種を使えたことがよかったです。リハビリからの復活勝利なので泣くような選手もいるでしょうね。でも僕は泣かなかった。泣く必要もないし、うれしい気持ちだけ。まだうれしさも始まったばかりだし、これからシーズンを戦って勝つことで本当の感激になる。周囲から「おめでとう!」と言われても、たかが通過点の1試合と思っていました。

 その後もローテーションを守りたかった。それが次戦の登板から右肩がおかしくなって…。病院で注射を打ち、薬を飲んで何とか投げようとした。関節の間に潤滑油のような注射を打てば投げられるし、今までのリハビリの経緯があるので絶対に離脱はできない。

 それが、先発で7イニング投げると痛みも出てくる。注射も効かなくなってくるし、隠すことができなくなり、5月に離脱。何度か一、二軍の行き来を繰り返しながらも結局、白星は4月の復帰勝利だけでした。さすがに「もう無理か…」ってなりますよね。チームは終盤から優勝争いを演じ、僕が呼ばれることはない。そんな場に自分がいないというのが悔しいですよね。

 9月26日、大阪ドームでのオリックス戦。優勝するかもっていうんで二軍の選手も球場に全員呼ばれ、僕も裏でテレビを見てました。勝ったら優勝なんでイケイケの状態。9回の満塁場面で打席に立った代打・北川博敏は大久保勝信の抜けたスライダーをとらえるのがうまいし、もしかしたらあるかも、と思っていたら劇的なサヨナラ本塁打ですもん。そういう星の下に生まれてるんだろうなあ。みんなグラウンドに飛び出し、僕らはベンチ外だから、もし何かあっても困ると思って行かなかった。でも、ゲームセットだし、行ってもよかったかなあ…。裏で喜んでました。

 その年はアメリカの同時多発テロがあり、世間が自粛ムードになっていた。ビールかけもなく、ブルペンに集まってこぢんまりとシャンパンを開けて喜びました。優勝はもちろんうれしいけど、僕は優勝争いで投げていないし、その場にもいなかった。全然仕事してない。01年は9試合に投げて1勝3敗。一応、1勝はしてるから優勝に俺の分も入っている(笑い)。まあ前半の1勝と後半の1勝では重みが全然違いますからねえ。

 ヤクルトとの日本シリーズを控え、僕が「秘密兵器」みたいな報道もあり、ワンチャンあるかなあって思いながらも肩は戻らない。長くウエスタンでも投げていないし、無理でしたね。もし監督に聞かれても行けますとは言えないし、迷惑がかかってしまうだけですよ。優勝争いも日本シリーズも投げれず、心残りでした。これも人生かなって割り切るしかないですね。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。