【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(10)】右ヒジの靱帯断裂の大けがに見舞われ、僕は当時まだ症例の少なかったトミー・ジョン手術を受けるために1999年7月、米国ボストンに向かいました。近鉄がレッドソックスと提携していたのでリハビリもしっかりできるだろうと。メスを入れることに不安はあったけど、桑田真澄さんもその手術をやって投げることができている。いろんな話を聞く中で「逆にヒジが強くなる」ということで、気持ちを安心させていました。

 術後、ギプスが取れるまでボストンにいて、その後は帰国せずにフロリダでリハビリをしました。レッドソックス傘下のケガした選手が何人もいて、トレーナーに見てもらいながらヒジを伸ばす運動を続けました。同じ手術をしたチームメートの酒井弘樹と行動をともにし、3週間くらい走り込みました。日本に帰ると知り合いのパーソナルトレーナーにみてもらい、下からのキャッチボールができるまで3~4か月、半年で上から投げられるようになる。1年は棒に振り、一軍に復帰できるまで2年はかかるというイメージでしたね。

 その間、チームは最下位に終わり、佐々木恭介監督は辞任。自分がいないというか、できなかったことは申し訳ない。大塚がいるから大丈夫だろう、と思ってはいても、先発陣が良くなかった。ここに僕が入れば、食い込めれば、という思いはありました。

 梨田昌孝新監督から「早く戻ってきてくれよ」と言われていましたが、早く復帰したくても、しっかり治すならゆっくりやらないといけない。でもおカネももらっているし…。しんどくてもやる気はあった。若い選手が出てくるし、負けたくない。いろんな思いがありながら時間を過ごし、プロ生活で一番きつかった時期だったですね。

 プロ12年目を迎えた翌2000年、夏場にウエスタンで実戦に復帰登板し、まあまあ普通に投げることができた。手術してるんで真っすぐ、スライダーも感覚が違うのは当然。痛みがあっても手術したんだから当たり前と思い、前向きに取り組んでいました。

 シーズン終盤には一軍に復帰して3試合に投げ、うち先発1試合。思った感じよりも悪かった。スピードも142キロくらいしか出ず、今までの感覚じゃない。先発だとスピードが落ちるし、自分の投球ができなくてね。1年半ぶりに戻って投げれたことはよくても「ヨシ」とはしたくなかった。

 翌01年は開幕一軍。うれしいし、絶対に今年はいけるぞと。そして4月8日のオリックス戦に先発し、6回無失点で723日ぶりの白星をマークできました。イニングはまだ短くても、多少戻ってきた部分はあったし、この1勝でやっていけるぞ、という気になれた。復活勝利って泣く選手もいるでしょうが、泣くほどつらい日々を送っていたのに泣かなかったですね。うれしさはまだ始まったばかりですから。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。