【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(17)】1989年のドラフトで新日鉄堺の野茂英雄さんを8球団が競合の末、近鉄がクジを引き当てました。全日本入りもしていたし、どんな投手なんだろうと思っていました。トルネード、フォークというイメージがすでにあって、すごい人が近鉄に来るぞって。高卒の僕の方がプロ入りは1年先でも、年上だしボールも格も違いますよ。
負けずに野茂さんに挑戦だ、なんて思わないです(笑い)。どんなボールを投げるんだろうって興味はあったし、入寮してあいさつはしたけど、しゃべれない。僕自身も1年目が終わったばかりで練習を見てる余裕もなかったですしね。
ちゃんと見たのは1990年の日向キャンプ。真っすぐがビュッとくるのと、ドスンとくるのと…。うなっている。1年前、プロ入りして初のキャンプで阿波野秀幸さんとか小野和義さんのブルペンを見てすごい、と思ったのとまた全然違う。コントロールはそこまでなかったかもしれないけど、ボールの勢いが衝撃的でしたね。
ブルペンの順番は僕らがあとなので、野茂さんが投げるのを後ろで見てました。回転しながら持ってくる下半身の使い方がすごい。野茂さんもまだ体も細かったですからキレもあるし、体が強い。すごい人が入ってきた。絶対この人には勝てないなって、また思いました。無理~って(笑い)。近鉄は前年に優勝し、野茂さんが入ったことでキャンプ中のメディアが多くなってお客さんも増えました。野茂さんは毎日メディアに追いかけられて逃げているような状態でしたね。
僕が打ち解けるのはまだ先の話ですよ。近鉄の「球友寮」に一緒にいても一軍と二軍じゃ生活サイクルが違うんで、僕が先に出かけて帰った時は野茂さんはいないし。だんだん僕が一軍に定着できるようになってから部屋を行き来したり、食事に行くようになりました。あまり話さない人なのかなって思っていたけど、仲が良くなると普通に楽しく話してくれます。
練習でも手を抜かずにしっかり走る。キャッチボールも一生懸命でフォームを意識して考えながら投げるんです。僕が3年目くらいからキャッチボールの相手になったんですけど、だんだん離れていって遠投になったら山なりのボールになるでしょ。それが40メートル、50メートルくらいになっても真っすぐのライナーのような送球ですよ。構えたところに来るし、相当下半身を使わないとできない。これはマネしようと思って、足を使って低く投げるよう心がけました。
そうすることで投球のリリースポイントが前になる。ボールを前で放すことで低いボールがいくし、球持ちがよくなる。野茂さんはブルペンでそんなに投げる方ではなかったけど、遠投はしっかりやっていました。ブルペンに入ることだけがピッチングではないと…。
あれだけの馬力ですから食べる量も多くてねえ。
☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。












