【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(8)】得意のスライダーの軌道が変わって球威も落ちてくればヤバい。でも何とか「名前」で抑えられたと思います。連続でタイトルを取って、試合終盤に「ピッチャー・赤堀」とコールされることで「こいつが出たら終わりだ」みたいに勝手に向こうが思ってくれる。それだけで優位ですからね。

 1992年から3年連続で最優秀救援のタイトルを獲得し、95年はケガで成績を落とし、96年からまた2年連続でタイトルを取れた。計5回の獲得は江夏豊さん、大魔神・佐々木主浩さん、岩瀬仁紀と並んで4人だけ。正直、5回といっても僕の時代は勝利数とセーブ数を合わせてのもので、ピンとこなくて何となく取れたという気持ちですよ。

 勝ちの展開にならないと僕も勝てないし、他の3人と比べて僕はセーブ数が少ない。岩瀬が通算407、佐々木さんが252。僕は139で、1シーズンでも26セーブが最高ですもん。まだ分業制が確立されていない時代でロングリリーフが多く、92年には規定投球回にまで達して最優秀防御率も取れたわけです。

 僕って投げたがり屋なんで先発がピンチになると「投げます」って言っていたし、回またぎも平気だし、6回くらいから肩つくってましたから。肉体的には先発の調整よりも大変かもしれないけど、逆に先発ローテなら週に1回のパフォーマンスのためだけにずっと調整するので、それはまた大変なこと。中継ぎだって勝つか負けるか、どう転ぶか分からない展開で、投げるか投げないか、ギリギリまで分からない状況で準備をしないといけない。気持ち的には抑えよりしんどいでしょうし、そこを経験した投手は抑えもできるようになると思いますね。

 97年は自己最多の57試合に投げて10勝7敗、23セーブ、防御率3・05の成績を残し、5度目の最優秀救援を取れた。最終戦ではダブルヘッダー2試合でセーブをつけることもできました。オフの契約更改で球団初の複数年契約を結びました。あと1年でFAを獲得できるところでの2年契約になったんですけど、球団は「FAしてもいい」と言ってくれていたし、まあいいかって(笑い)。

 年俸1億8500万円に不満があったわけではないけど、ヨソを見たらもっとすごい…。近鉄は渋い球団ですし、それまでも「倍になるぞ」と聞いていたのにならなかったり、もっと欲しかったですよ。保留したところで変わらないし、自分で考えたインセンティブを持っていきました。

 それにヨソのチーム、セ・リーグの野球ってどうなんだろうという気持ちも出てきていました。もっとFAのことを考えて交渉した方がよかったかなあ。満員のファンの前でやりたいのはもちろんだし、後になっていろいろ考えますよね。

 98年、あと1年でFA権を取得できるところまできた。ところが…。また大きな壁に当たってしまった。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。