【赤堀元之 〝猛牛〟世紀末守護神(16)】1988年のドラフト4位で静岡高から近鉄に入団。大阪の南部の球団だったから最初は怖かったですよ。言葉も何を言っているのかわからないし(笑い)。「ほっといて」と言われたら普通ほっとくでしょう。「捨てといて」なんて思わないからほっといたら「何やってんだ」って怒られたり…。

 だけどだんだんニュアンスがわかるようになったら変わってくる。小野和義さんとか、怖そうに見えていた先輩もみんなやさしいし、何の問題もなかった。仲が良くて普通に話してくれるんですよね。新人ながらチームがまとまっているな、と思いましたよ。藤井寺球場裏の寮での生活も厳しくなくて、本当にやりやすかった。

 プロの練習も最初はきつそうには見えず「高校の時と比べたら楽なんじゃないか。ついていけるぞ」って。それをずっと続けるとなると、しんどくなってきますよね。春季キャンプのブルペンで小野さん、阿波野秀幸さん、吉井理人さん、加藤哲郎さんの球を見た時はすごい、全然違う。こんな中に入れるのか、一軍でいられるのかと思いました。打者もブライアントとかすごくて、球場が狭いからどんどん柵越えで…。これは絶対に打たれるわって(笑い)。リベラ、新井宏昌さん、大石第二朗さん、鈴木貴久さんとか。

 でも、僕が周りを見て「うわあ」と思っていた一方で、先輩たちも僕のブルペンを見に来てたんですよ。「すごいやつが新人で来たらしい」「こいつのボールは違うわ」って思ったらしくて。いやあ、みなさんの方がすごいのに(笑い)。自分では意識してなくて自信もまったくないし、一軍に上がれるように一生懸命頑張るだけでした。自分のボールがいいと思ったこともなかったし、何で打たれないのかって思っていたくらいですもん(笑い)。体力にも全然自信なかった。

 1年目から自主トレ、キャンプと順調すぎるくらい順調でした。練習もそんなにきつくなくて、嫌なことは僕の中で何もなかった。下っ端なので道具の片付けがあるくらいで、苦手な先輩やコーチがいるわけでもなく、まったくストレスなくできていました。試合に集中できる環境があった。投げて打たれて悔しいというのだけで、寮に帰れば食事はおいしいし、口うるさい人もいなくて快適。藤井寺だってお店はあるし、出かけるのも寮にいるのも苦ではない。僕があんまり細かいことを気にしないタイプだったからかもしれませんね。

 1年目の89年は5月に一軍初登板を果たし、9試合に出場できた。2年目は後半から一軍で出してもらうようになって、中継ぎで21試合で4勝と成長できました。恩人はやはり使ってくれた仰木彬監督であり、自由にやらせてくれた権藤博投手コーチ。そして、大きな存在だったのが、寮でも一緒だった野茂英雄さんでした。

 ☆あかほり・もとゆき 1970年4月7日、静岡県藤枝市生まれ。静岡高のエースとして2年夏に甲子園に出場し、88年のドラフト4位で近鉄に入団。リリーバーとして頭角を現し、4年目の92年に最優秀救援投手と最優秀防御率をダブル獲得。92~94年、96~97年と5度の最優秀救援投手に輝いた。その後は故障に苦しみ、2004年に引退。指導者としてオリックス、ヤクルト、中日、韓国SKで投手コーチ、BCリーグ・新潟で監督を務めた。22年から関メディベースボール学院でコーチをしながらテレビ解説者としても活躍している。