【平成球界裏面史・2009年の楽天編(3)】平成21年(2009年)、野村監督と楽天フロント陣との対立構造が決定的となる中で、チーム内には〝ノムさんに最後の花道を〟との機運が高まっていった。9月に入って西武と激しいAクラス争いを演じるようになると、ナインの目の色も変わってきた。

 9月1日には再び一部スポーツ紙が「楽天の次期監督は東尾修氏」と報道。これを受けてノムさんは「最近(采配を)迷うわ。ピンピン決断できない。俺自身が鈍るのはやっぱり来年がないからなんじゃない? それがネックになっていると思う。人間って弱いから躊躇(ちゅうちょ)しちゃう。なんでも余裕を持って行動しないといいのが出ないからな。追い詰められた状態でやっているから」とボヤキ節だったが、8月は17勝7敗の好成績で終えていた。このころ、チーム内には妙な一体感もあった。

 チーム関係者によると〝野村解任〟がフロント側の既定路線になっていたが、選手間では「『もし俺たちが行くところまで行ったら、フロントはどうするのかな』の方に興味が移っている」。さらに「フロントへの不信感みたいのはあるけど『逆に俺たちがAクラスに行ったら見ものだよな』となって『だったら、勝ってやろうじゃないか』と、妙な一丸ムードに変わっている」といった声が上がっていた。

「野村監督をクビにするな!」という以上に「フロントを困らせてやろうぜ!」が選手の〝裏モチベーション〟となっており、実はフロント陣に、その通りの「揺らぎ」が生じていたという。

 全国区の人気である野村監督を成績に関係なくクビにしたら球団のイメージダウンは避けられない。フロント内にも「Aクラス、日本シリーズ進出なら続投。4位以下なら候補者」との声が上がった。しかし、3位と4位が激しく入れ替わる戦況で、その判断が難しくなり、後任者への正式なオファーが出しづらくなっていた。

 そんな背景から〝融通の利く〟候補者にとりあえず打診、Aクラス入りなら断り、4位以下なら1~2年〝つなぎ〟として監督を務めてもらい、改めて本命にオファーを出す…という仰天プランが浮上。当時の球団スタッフが水面下で売り込んでいた、監督経験のあるX氏が候補に挙がっていた。

 こうした、にわかに信じがたい話まで出る中、野村監督は9月6日放送のテレビ番組で「もう結構ですわ!」と、球団に〝三くだり半〟を突きつけた。一方でコーチ陣は指揮官との「一蓮托生」を誓っていた。

 体制が変わるなら、翌年に向けた他球団の組閣が完了する前に〝就職活動〟を始めたいところ。しかし、球団初のAクラス入りが現実味を増している中で、コーチの一人は「これからのことだって考えないといけないけど、今は大事な時期だから」と封印する覚悟を語っていた。

 一連のゴタゴタはチーム一丸の原動力にもなっていったが、またも水を差しかねない事態が起きてしまった。9月15日に横浜(現・DeNA)から戦力外通告を受けた工藤公康投手(現ソフトバンク監督)の受け入れについて、通信社の取材を受けた「楽天関係者」なる人物の「『次の監督』次第で獲得も検討することになる」とのコメントが報じられた。

 次期監督として有力視されていたのが、かつて工藤とともに西武黄金時代を築いた東尾氏だったことを考えれば合点がいく。チームが上げ潮ムードになっている中でもフロント内に「東尾新監督ありき」の動きがあることが判明。すると今度はフロント間で「一体誰がそんなことを言ってるんだ」「球団幹部なら名前が出るが、そうじゃない。となると東尾氏を擁立したいという、何らかの力が働いているとしか思えない」といった声が上がるなどギクシャクし始めた。

 事態が混とんとする一方で、現場は悲願のAクラス入りに向けて突き進み、ついに2位をうかがうところまできた。(佐藤浩一)

=続く=