【直撃!エモPeople】現在の女子プロレス界はビジュアル化が進む一方で、多数の人気選手が存在する。団体数が少なかった時代に「元祖アイドルレスラー」として圧倒的人気を誇り、一時代を築いたのがキューティー鈴木(ジャパン女子→JWP=52)だ。活動期間は13年間と短く1998年12月に29歳で引退。現在は2人の息子の母親で、専業主婦として平穏な生活を送る。史上最多となる14冊もの写真集を出した希代のアイドルレスラーが「引き際の美学」と現在の生活について語った。
現在は夫と高1、小5の息子との4人家族で専業主婦として日々の生活を送る。長男は今春、都内の第1志望校に見事合格。サッカー部に所属する。「平凡ですが幸せといえば幸せなんですかね。朝起きたらお弁当を作って家族に『いってらっしゃい』を言って、掃除をして買い物をして…結構あっという間に1日が終わる。私には向いていると思います」と、キューティーは「美人ママ」の表情で語った。
中3の夏に故郷の埼玉・川口市で全日本女子プロレスを見たのがキッカケでレスラーを志す。「見た瞬間にこれしかないと思った。私は大森ゆかりさんが好きだったんですが、同じ世代の子たちがリングに上がるのを見て刺激を受けた」
中3と高1でオーディションを受けるも不合格。そんな時、ジャッキー佐藤が新団体・ジャパン女子プロレス(1986~92年)を旗揚げすると聞き、オーディションを受けて合格。高校を中退して夢だった女子レスラーへの道を踏み出した。
「尾崎(魔弓=OZアカデミー)が同い年で一緒に寮に入ったんですけど、トントン拍子だっただけに直前で怖くなった。年齢も出身地もバラバラ。最初は人間関係はキツかった。いじめはなかったけど、24時間一緒ですからケンカは絶えない。最初は20人いたのが10人ほどに減った。練習もキツいし部屋も狭い。6畳に3段ベッドがあって6人。ストレスはたまりますよね。一番年下だからつらかった」
旗揚げにはAKBプロデューサーの秋元康氏が協力し、選手にリングネームをつけた。「私は『キウイ鈴木』『アップル鈴木』そしてキューティー。どれも嫌だったので『どれでもいいです』と会社の人に言って、キューティーになったんです」
86年9月19日徳島で同期の故プラム麻里子(享年29)戦でデビュー。一選手として試合を続けていたが、3年後に転機が訪れた。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演すると人気が爆発。CDデビューも決まり「週刊ヤングジャンプ」の表紙に抜てきされ、初のイメージビデオも発売される「幸運」が一時期に重なったのだ。
「私自身は何が何だか分からない。元日しか休む日もなく、仕事をしていました。でもお金は入ってこない。最初の写真集のギャラは15万円。次の写真集の撮影でフィリピンに行くので10万円前借りしたら、次の月は給料が出ずに逆にお金を払いました。会社の宣伝だと思ってやっていたんですけどね(笑い)」。ちなみに当時の月給は10万円にも満たなかったという。
ジャパン女子は放漫経営がたたり92年に崩壊。JWPとLLPWに分かれ、キューティーはJWPを選択した。「人数が少ない分、責任感ができた。ジャパンの時は広告塔という気持ちでしたが、JWPでは自分の中でも『私がやらなくちゃ』という気持ちになった。プロレスラーとして自覚と責任感が出てきたと思います」と振り返る。
JWPでは団体の顔となり、93年からの対抗戦ブームを経験。94年には米WCWに遠征して尾崎と組み、ブル中野、北斗晶組と対戦した。「怖かったけど、ブルさんは米国のプロレスをよく分かっていて格好よかった。身を任せてプロレスができた。対抗戦は積極的に出たほうではなかったけどいい時代でした」
それでも「20代のうちに引退したい。30歳過ぎてキューティーというのもどうかと思った」という信念から、97年には「タイミングは会社に任せますから引退したい」と伝えた。ここで予想外の事故が起きる。同年8月15日広島で盟友のプラムが試合中の事故で亡くなったのだ。
「試合後、リング上でいびきをかいて寝ていた。叩くと起きる選手もいるんですけど起きなくてそのまま救急車で運ばれて…。亡くなるなんて思わなかった。その日は新幹線で一緒に広島まで行って、普通だったんですよ。麻里ちゃんが亡くなって『やっぱり元気なうちに辞めよう』と考えるようになった。20代では人の死ってそんなに間近になかったし、初めてだった。麻里ちゃんのお父さんやお母さんが悲しむ姿を見て親不孝しちゃいけないなと思いました」
結局、翌98年12月27日後楽園で引退。05年に飲食店や格闘技のジムを経営していた男性と結婚。現在に至る。長男が受験を終えたばかりだが「下の子はかわいいんですけどわがまま。今、小5で受験が待ってますけど、2回目だから気が楽です。お兄ちゃんの時はコロナ禍で学校説明会もなかったので、下の子は早くから動きます」と母親の表情で語った。
元祖アイドルとして女子プロ界には「プロ意識が強くて個性的な子が多い。知らない人が見る機会があれば絶対面白いと思う。もう一度、女の子が目標にする職業になってほしいし、テレビもついてほしい。10の嫌なことがあっても1つのいいことがあれば報われた気持ちになる。私はいい職業に出会ったと思います」と提言。往年の美しさが残る笑顔で業界の発展に期待を寄せていた。
☆きゅーてぃー・すずき 本名・原嶋由美。1969年10月22日、埼玉県川口市生まれ。86年に市立川口女子高を中退し、ジャパン女子プロレスに入団。86年9月19日徳島のプラム麻里子戦でデビュー。14冊の写真集、イメージビデオ、テレビ出演などでタレントとしても大人気となる。92年4月3日、JWP女子プロレスの旗揚げに参加。98年12月27日、後楽園ホール大会で引退。引退後の2005年に結婚。












