【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「この2年間、本当に不思議だったよね。今でも映像でスタンドにファンの人型パネルが並んでいるのを見ると変な気持ちになるよ。なんだか随分昔のことにも感じるけど、チームメートや遠征中の過ごし方など、少し変わった気がするね」

 ブレーブスのクラブハウスで、ふと会話したダレン・オデイ。「パンデミック1年目は、初めて『夏』というものを与えられて、最初自分をどうして良いかわからなかった。フロリダ育ちで通年野球ができたから、プールとかセーリングとかも行ったことがなくて」

 結局、3人の子供たちに付き合い毎日プールと、ゴルフコース脇に家があったため、ゴルフざんまいのステイホーム生活だったそうだが「本来の自分はもっと好奇心旺盛でじっとしていられない」とダレン。「野球選手の生活の中で、僕は特にいろんな街にタダで連れて行ってもらえることがとても好きでね。試合前でも必ず美術館へ行ったり、気になるレストランをチェックしてみたり。ボストンで、ハーバード大学を見に行って、授業に潜り込んだこともあるよ。当時はもう少し若く見えたからね。ボストンは何度も行っていたから少し違うことをしてみようと、学生の波について行ったら有名なスティーブン・ピンカー心理学教授の講義だった。人間の性に関する授業を興味深く聞いた覚えがある。マサチューセッツ工科大学のキャンパスもふらっと寄ってみたり。今の学生は皆、パソコンやタブレットを持って参加しているんだもんな。クロスワードパズルをやって怒られていた自分とは比べ物にならないよ」

 空き時間にキャンパス見学に行く選手はダレンくらいではないかと思う。球界でごくたまに出会うアカデミックタイプ。本人は「子供時代よく悪さをしては罰として部屋に閉じ込められ、母が買った本しか読むことができなかったから必然的に読書が好きになった」と謙遜するが、野球選手になっていなければ整形外科か獣医になっていたほどの頭脳の持ち主。さらにフロリダ州立大学入学当初、野球部のトライアウトを受け、実力不足でカットされた経歴も持つ。

 野球部に入れなかった人が現在、大リーグ15年目。ソフトボールチームに入り普通の大学生活を謳歌していたダレンに、地元の友人が野球の試合で投げてほしいと頼んだこと、気軽な気持ちでサイドスローを試したらかなり良く、それを見た父ラルフさんが野球部に再度挑戦するよう強く勧めたこと、受けたらクローザーとなって4年間活躍し奨学金ももらえたこと、大学ドラフトされず、医学部進学を決めていたところにエンゼルスからフリーエージェント枠で2万ドルの契約提示があったこと、当時彼女で現在妻のエリザベスさんが「行かなきゃクレイジー!」と後押ししたことなどさまざまなきっかけがかみ合って、始まったキャリア。しかもルーキーリーグからのスタートなのに、2年で結果が出なかったらやめると決めていて、それをかなえてしまったのだ。

 何度もけがに悩まされながら、なおも球場にいることに誇りを持つダレン。「野球は今転換期で、パンデミックやロックアウトで過ごし方も変わったし、ルール改定も著しい。でも、僕自身はあまり変わっていない気がする。ようやく気軽に食事に行けるようになったから、チームメートとご飯に行けるのがうれしい。同僚のことを知るなら僕らのオフィスである球場を出て、時間を過ごすことだと思うんだ」

 全ては最後に「勝つ」ために。たくさんのことが変わってしまった世の中で、変わらないこともたくさんあるなと感じた会話だった。

 ☆ダレン・オデイ 1982年10月22日生まれ。39歳。米フロリダ州ジャクソンビル出身。193センチ、100キロ。右投げ右打ち。投手。フロリダ大から2006年にドラフト外でエンゼルスに入団。08年3月31日のツインズ戦でメジャーデビュー。メッツを経て09年に移籍したレンジャーズで中継ぎとして頭角を現し、10年には72試合に登板して球団初のリーグ優勝に貢献。12年に移籍したオリオールズでは、中継ぎの柱として68試合に登板した14年と15年に防御率1点台をマークする。昨季はヤンキースで12試合に登板し、今季はブレーブスで開幕ロースター入りしている。