【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」(3)】マッハ文朱さんは史上最年少の16歳で最高峰のWWWA世界シングル王者になった。華やかだったけど決して絶対的な強さを誇っていたわけでもない。引退も早く全盛期は2年ぐらいだった。負けて泣きながら「♪花を咲かそう 心に花を 前に向かって歩くのよ」(デビュー曲『花を咲かそう』)って歌う姿に心を打たれた。歌詞に自分の境遇を重ねていたのかもしれない。私は女子プロに夢中になった。熊谷近辺で試合があれば会場に足を運び、始まったばかりの土曜夕方のテレビ中継を食い入るように観た。
中3になり進路を考えなければならなくなった時期、迷わず女子プロ入門を担任に訴えた。しかし当時はオーディションは年1回(4月)。全女に問い合わせても「もう終わった」とアッサリ言われた。来年まで待てるかよ。諦めきれない私は、マッハさんがプロレス入りする前に『スター誕生!』の決勝大会まで進んだと聞き、ずうずうしいことに同じ行動に出た。10月だったか、300人以上の応募者で熱気の詰まったよみうりホールで、ずうとるびの『みかん色の恋』を歌った。アコーディオンの伴奏だ。歌い出しを間違えて「すいません、もう1回…」と2度歌わせてもらったが、もちろん落選したよ。
女子レスラー、それもベビーフェースになりたい。そのためなら手段なんか選んでられない。何でもやってやる。私はラジカセに自分がいかにプロレスラーになりたいかという演説をカセットテープに録音し、東京目黒区の全女事務所・松永(高司=故人)会長あてに何十回となく送っていた。「こんにちは。埼玉県熊谷市の松本香です。今回はなぜ私がプロレスラーになりたいのか、ご説明したいと思います」。完全に脅迫行為だよな。政治犯かよ。
時期は少しずれるんだけど、テレビ局が募集した女子野球チーム「ニューヤンキース」のオーディションも受けた。番組で全女チームとソフトボールで対戦するという触れ込みだったから、プロレスへ道がつながると考えたのだが、これもアッサリ落選した。聞いたらライオネス飛鳥はこの時、合格していたらしい。彼女はもともとソフトボールの有望選手だったから、まあ納得した。私はキャッチボールの相手があまりにヘタクソだったんで落ちたと今でも思ってるけどな。
そこまでして女子レスラーになりたかったのは、憧れもあった。だけど本音を言えば早く家を出たかったのだ。給料だって同じ年頃のOLより何倍もいいと聞いていた。何より母を少しでも楽にさせたかった。結局、道を絶たれた私は高校へ進学する。そこで思いもよらなかった競技に出会うことになる。五輪競技でもあるアーチェリーだ。












