快挙を生んだのは信念と覚悟――。フィギュアスケート日本一を決める全日本選手権(21~24日、大阪・東和薬品ラクタブドーム)が迫ってきた。注目はシニア転向1年目でグランプリ(GP)ファイナルを制覇した紀平梨花(16=関大KFSC)だ。連日、メディアが多角的にニューヒロインの素顔に迫っているが、ついに本紙は強さの“答え”にたどり着いた。小学6年生の時に書かれた「卒業文集」を入手。本人の了承のもと、記された衝撃的な“未来予想図”を初公開だ。

 兵庫・西宮市にある大社小学校に、教師の間で“伝説”となった一冊の卒業文集がある。その69ページに載った作文の題名は「夢に向かって」。2014年、紀平が小学6年の時に書いたものだが、まるで予言書のように将来の夢が具体的に描かれている。

 同校の嘉数彰教頭は「職員も紀平さんの活躍をとても喜んでおり、応援しています」と誇らしげに笑い、紀平本人が了承した上で文集を見せてくれた。

「紀平さんの得点。85、68」

 きちょうめんな性格がうかがえる丁寧な文字で書かれた作文の冒頭は、自身最高得点(当時)で近畿大会3位となった際の描写だ。「そのしゅん間、私は変わった」「私の心を大きく変化させた」「明るい未来が見えた気がした」――。自分が課した「壁」を乗り越えたときの心境が克明に記されている。驚くべきは、その後だ。

「NHK杯の花束ガールというものに呼ばれた。この前までの自分にとって、とても遠く、あこがれの仕事だった。(中略)たくさんのトップスケーターを近くで見て、また私は大きく成長した。将来、私はその場所で花束をたくさんもらえる選手になる」(原文ママ)

 この4年後。今年11月のNHK杯(広島)に初出場した紀平は、大逆転で日本人初のGPシリーズデビュー戦V。優勝を決定づけたフリーの演技の後、リンクには“たくさんの花束”が投げ込まれ、作文は現実のものとなった。

 5、6年時に担任を務めた柴田春香教諭(現・南甲子園小)は当時の紀平をこう回想する。

「すごく芯が強い子。やらないといけないことはきっちりと取り組むけど、ピリピリした雰囲気を出さず、柔らかさがありました。強い気持ちなのに、いつもニコニコしていました」

 このころ、すでにトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)への挑戦を開始。朝練後に登校し、昼休みも練習へ足を運ぶなど毎日のように学校とリンクを2往復する生活だったが、それを支えてきた柴田教諭ら先生への感謝の気持ちもつづられている。

 もう一つ、特筆すべきは夢を語る文末表現の方法だ。紀平は「○○したい」「○○になりたい」という願望ではなく、「○○する」「○○になる」と断定調でつづっている。マリナーズのイチロー外野手(45)も小学校の作文で「必ずプロ野球選手になれると思います」と自信あふれる書き方をしており、サッカーの本田圭佑(32=メルボルン・ビクトリー)も「ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたい、と言うよりなる」と独特の表現で夢を書いている。いずれも「絶対になる」という強い意志の表れ。この信念こそが、成功への源と言える。

 圧巻は次の一文だ。

「必ず、オリンピックで優勝して、コーチになる」

 4年後の北京五輪、さらに引退後の夢。作文を読み進めるかのような紀平のスケート人生には、無限の可能性が広がっている。

【フジテレビの救世主!?】彗星のごとく現れた紀平は、全日本選手権を中継するフジテレビにとって、まさに“救いの女神”となるかもしれない。

 フィギュアスケート界最大のスターである羽生結弦(24=ANA)が11月のGPシリーズ第5戦ロシア杯のフリーで右足首を負傷し、GPファイナル(カナダ・バンクーバー)に続いて全日本選手権欠場も表明。テレビ朝日系が中継し、羽生が優勝した同第3戦のフィンランド杯では、11月3日放送のショートプログラム(SP)で瞬間最高21.2%を叩き出し、翌日のフリーでも平均で16.2%をマークした。その“超優良ソフト”を失ったフジテレビのダメージは計り知れなかった。

 だが、紀平の活躍で女子(SP=21日、フリー=23日)の注目度が一気に上昇した。シニア転向後、国際大会4戦全勝の新女王への期待はもちろん、全日本3連覇中の宮原知子(20=関大)や平昌五輪代表の坂本花織(18=シスメックス)らとの激戦は必至。昨年(SP=10.6%、フリー=14.0%)以上の視聴率が見込めるだけに、低迷するフジテレビとしては“地獄から天国”となるチャンスだ。(視聴率は関東地区、ビデオリサーチ調べ)