【赤ペン! 赤坂英一】巨人の背番号55は今後どうなるのか。新たに背負える選手が現れるのか。そうでなければ永久欠番になるのだろうか。
“ゴジラ”松井秀喜氏の後継者と期待され、55番をつけていた秋広優人がソフトバンクへトレード移籍。再び“空き番”となったため、SNSでカンカンガクガクの議論が展開されている。
秋広の背番号が「55」になったのは球団の決定である。1年目の2021年は「68」だったが、オフの契約更改で「55」への変更を通達された。翌23年は期待に応え、121試合に出場して10本塁打、41打点をマークした。が、24年は打撃不振でほとんど二軍暮らし。結局、“ゴジラ2世”にはなれなかった。
秋広の前は、大田泰示が1年目の09年から「55」をつけられた。だが、当時の原監督は別の背番号を考えていたという。以前、私のインタビューにこう明かしたことがある。
「僕は泰示に『38』をつけさせようと思った。長嶋さんの『3』、僕の『8』を合わせた背番号で、将来巨人軍を背負って立つ選手を目指してほしかった」
そこへ、球団幹部から「どうしても松井くんの『55』を継承させたい」と、たっての要望が入る。原監督も折れて「38」を引っ込めた。理由は「泰示には松井に負けないだけの“排気量”があると判断したから」だそうだ。
しかし、大田もやはり巨人では実績を残せなかった。14年に「44」に変更されると「松井氏を監督として復帰させるため『55』を空けたのだろう」とウワサされたものである。大田は17年から日本ハムに移籍し、プロ9年目でようやく一軍に定着してブレーク。もし巨人で「38」を背負い、プレッシャーを感じずにプレーできたらどうなっただろう。
「55」を背負って松井氏のレガシーを受け継いだ選手を挙げるとしたら、22年に日本選手最多の56本塁打を放ったヤクルトの村上宗隆だ。その年のオフ、松井氏への尊敬の念を語っている。
「僕は松井さんのイメージで『55』をつけさせていただいた。『55』がこういう(長距離打者の代名詞の)背番号になったのは、松井さんがあれだけ世界で活躍されたから。僕が56本打っても、(背番号56は)そうはならない」
ちなみに、イチロー氏の背番号51は大リーグのマリナーズで永久欠番になったが、オリックスでは“空き番”のまま。球団社長は「『51』を背負う意気込みのある選手がいれば」と語っていたが、それほどの選手はなかなか出てこないだろう。
巨人の「55」も当分寝かせておくしかないか。












