2006年7月9日ドイツW杯決勝 ジダンの頭突きが招いた…仏サッカーの衰退

2020年07月06日 16時00分

マテラッツィ(左)に浴びせたジダンの強烈な頭突き(ロイター)

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(11)】有終の美。スーパースターにはよく似合うフレーズだが、時には信じられない結末を迎える選手もいる。2006年ドイツW杯決勝で醜態をさらしたフランス代表MFジネディーヌ・ジダン。輝かしいキャリアを締めくくるはずが、たった一つの愚行で名声を汚した。全世界に衝撃を与えた「頭突き事件」の裏側では何が起こっていたのか。創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」では錯綜した情報とフランス有力紙記者の葛藤、さらにフランス代表が抱えた苦悩に迫った

 上位進出の期待が高かったジーコ監督率いる日本代表が1次リーグで姿を消してから17日後。大会の継続取材を任された記者は、大団円を迎えるはずの大舞台で起こった“事件”に慌てるばかりだった。2006年7月9日、ベルリン五輪スタジアム。フランスとイタリアの間で行われた決勝は1―1のまま延長戦にもつれ込み、スタンドは緊張感に包まれていた。

 そんな中で迎えた延長後半5分、突如イタリアの選手が自陣で倒れて悶絶し、オラシオ・エリソンド主審はフランスの選手にレッドカードを提示した。その瞬間を見逃した記者は事態を把握するのに時間がかかったが、隣にいたフランス人記者の言葉でようやく状況をつかんだ。

「ジダンとマテラッツィだよ」

 ジダンが自身をマークしていたイタリア代表DFマルコ・マテラッツィと何やら言葉を交わし、いったんは離れたと思ったら振り向きざまにマテラッツィの胸に頭突きを見舞った。場内が騒然とする中、左腕のキャプテンマークを外し、優勝トロフィーを横目に静かに去っていくスーパースターの背中はあまりにも寂しいものだった。

 ジダンは自国開催だった1998年W杯で初優勝し、レアル・マドリード(スペイン)の一員として戦った2001―02年シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝、レーバークーゼン(ドイツ)戦では華麗な左足ボレーシュートで決勝点を奪って欧州制覇。いくつもの伝説を築いてきたスターもこのドイツW杯を最後に現役引退することを大会前に公言していた。内紛を抱えるフランス代表は決して前評判が高いチームではなかったが、ジダンの花道を飾るために選手は一丸となっていた。だがそれも、主役の“ご乱心”で水の泡。結局、試合もPK戦の末に敗れ、残されたフランスイレブンは24年ぶり4回目の優勝を飾ったイタリアの歓喜の様子を眺めるしかなかった。

 試合後は当然、ジダンとマテラッツィに注目が集中した。最大の焦点は、愚行の引き金となった2人の会話の内容。大会直後は2人とも沈黙し、メディアの中には読唇術の専門家に鑑定を依頼するところもあった。そんな中でまず口を開いたのはマテラッツィ。激しいマークにいら立ったジダンが「そんなにユニホームが欲しいなら、試合後にくれてやる」と言い放ったのに対し、侮辱発言をしたという。だが、ジダンは「ユニホームの交換は試合後にしよう」と紳士的な物言いだったと釈明。ただ、その後にマテラッツィから複数回、暴言を浴びせられ、自身の母親や姉に対する侮辱発言を許せなかったとした。

 発言の内容が明らかになったのは1年後のことだった。マテラッツィがテレビ番組で「お前の姉貴より娼婦のほうがいい」と言ったことを認めた。さらに今年5月、自身のインスタグラムで「ユニホームよりお前の姉貴が欲しい」とも言っていた事実も明かした。ジダンの愚行を肯定するつもりはないが、人種差別行為や侮辱発言に厳罰が与えられる近年のサッカー界からすれば、マテラッツィの行動は決して許されるものではない。

 この騒動でフランスメディアは混乱していた。中でも、有力紙「レキップ」は想定外の出来事に頭を抱えたという。というのも、この大会は「2つの軸」を中心に展開していくつもりだったからだ。一つはジダンの引退の花道、もう一つはジダンと確執があったというレイモン・ドメネク監督に対するネガティブキャンペーン。2年前の2004年欧州選手権で出会った同紙のフィリップ・ベルナール記者は大会終盤にこんな話をしていた。

「本心はフランスに優勝してほしい。ジダンにも有終の美を飾ってほしい。でも、そうなるとドメネクをどう扱ったらいいのか。もう謝罪はしたくないよ」

 大会前からドメネク監督は選手の育成能力の欠如や采配力の乏しさが指摘され、サポーターの間にも早期の更迭論が渦巻いていた。だが、かろうじて1次リーグを突破すると、準々決勝で優勝候補のブラジルを撃破。準決勝ではポルトガルにも勝ってファイナリストになった。同紙はフランスW杯時もエメ・ジャケ監督の采配批判を展開していたが、優勝したことで紙面で大々的にジャケ監督に謝罪するという事態になった。それだけにドイツ大会の快進撃を複雑な思いで見てきたという。悪夢の再来だけは避けたい――。

 だが状況は一変した。ジダンの愚行の真実を探す取材に奔走し、記事もジダン一色になった。ドメネク監督の采配批判が影を潜めた一方、フランス大会後のような謝罪は避けられた。ただ、同紙だけでなく、同国メディアによる大会の検証は後回し。フランス連盟も準優勝という望外な結果とジダン騒動の後始末に追われたことで、ドメネク監督の続投という“悪手”を選択するハメになった。後日、ベルナール記者は「これでレ・ブルー(フランス代表の愛称)は死んだ」と落胆していた。

 悪い予感は的中し、フランスは08年欧州選手権、10年南アフリカW杯は屈辱の1次リーグ敗退。南アW杯期間中にはドメネク監督の采配を選手が批判し、その中心にいたFWニコラ・アネルカが大会から追放された。これに怒った選手たちは練習をボイコット。お家騒動は泥沼化するばかりで、強豪国の面影はどこにもなかった。

 ジダンの愚行は自身のキャリアを傷つけただけでなく、フランスサッカーの一時的衰退を招いた。代表チームが2年前のロシアW杯で2度目の優勝を果たすまで要した時間は実に12年。スーパースターの影響力の大きさを物語るには十分すぎる歳月だった。

 ☆ジネディーヌ・ジダン 1972年6月23日、アルジェリアの少数民族の両親の元に生まれた。フランス・マルセイユ出身。88年、同国カンヌでプロデビューし、その後は攻撃的MFとしてボルドー、ユベントス(イタリア)、レアル・マドリード(スペイン)で数多くのクラブ、個人タイトルを獲得。現役引退後はRマドリードの監督として欧州チャンピオンズリーグで3連覇し、史上初めて選手、監督で国際サッカー連盟の最優秀賞を受賞した。ちなみに退場したドイツW杯も大会MVPを獲得している。