スペインやクロアチアなど世界7か国でプレーした〝流浪のフットボーラー〟ことMF田島翔(39)が自身のキャリアを振り返った。現在神奈川県3部の江の島FCに所属する一方、7月にはプロ雀士の試験に合格し〝二刀流〟で再スタート。カズこと元日本代表FW三浦知良(55=JFA鈴鹿)の〝信者〟だった田島は、スペインでプレーしていた2011年3月の東日本大震災で大きな影響を受けた。(連載全5回)


【サッカーと雀士の二刀流・田島翔がキャリアを振り返る(2)】

 ――2010年8月にはスペイン5部のTSKロセスに加わった

 田島 クラブに入団する前、09年当時にスペイン1部エスパニョールでプレーしていた中村俊輔さん(現J2横浜FC)に会いに行き「スペインに挑戦する」という話をすると「サッカーが文化になっている国だから。頑張って」と…。励みになりましたね。ただ、スペインでは日本人ということで、かなりバカにされました。久保(建英=現レアル・ソシエダード)君もインタビューで言っていましたが、街を歩いていると「チーノ、チーノ(アジア人をバカにする言葉)」って…。治安が悪く、スリが多いので気を付けていました。

 ――それで帰国を決意したのか

 田島 実は治安は関係ないんです。スペインでの生活自体は悪くなかったのですが、11年3月11日に東日本大震災が起こりました。当時チームメートが「日本が大変だぞ!」って部屋に駆け込んできたんです。それでテレビを付けたら、津波の映像が流れていました。もう衝撃でした。特に父親が漁師をやっていたせいか、不安にかられて日本が恋しくなり「とにかく戻らないといけない」と…。そのまま帰国を決意したんです。

 ――12年にはJ2熊本に入団した

 田島 日本に戻ってからは、Jリーグでプレーしたいと強く思うようになったんです。それで熊本とつながりのある知り合いを通じて練習に参加できるようなり、1か月くらいで正式に入団が決まりました。高木琢也さんが監督で元日本代表の藤本主税さんや北島秀朗さんが所属していました。高木監督には「ワンタッチプレーができる選手になれ」と言われていましたね。でも、1年で退団し、13年にフットサルのシュライカー大阪に入りました。

 ――なぜフットサルに転向したのか

 田島 あこがれだったJリーガーになれたことでちょっと、サッカーに燃え尽きた感があったんです。それに新しいことにもチャレンジしたかったので。ちょうどカズ(三浦知良=55、JFL鈴鹿)さんが(11年12月に)フットサルに挑戦(エスポラーダ北海道)し(12年に)日本代表にも選ばれてW杯に出場したんです。その影響を受けましたね。でも、やっぱり「サッカーがやりたい」となってもう一度、海外でプレーし始めようと思ったんです。 

 ☆たじま・しょう 1983年4月7日生まれ。北海道北斗市出身。北海道函館工を卒業後の2002年にシンガポールへサッカー留学。04年にFC琉球入り。07年シーズン後に退団し、クロアチアやスペインでプレーし、12年にJ2熊本に入団した。その後、ニュージーランドや米国、韓国、サンマリノでプレーし、22年に江の島FCに加入。同年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格した。168センチ 62キロ。