【プロレス蔵出し写真館】柱にしがみつき、下から木村健吾(後に健悟)に木の棒でつつかれる武藤。何か粗相でもしでかしたのか、付け人を務めていた木村に長い木の棒で追い立てられた武藤は、体育館わきのせり出した倉庫の鉄骨柱を軽々とてっぺんまで登って逃走したのだった。

 この光景に、カメラマンは笑いをかみ殺しながらシャッターを押した。これは、今から37年前の1985年(昭和60年)7月19日、札幌中島体育センターでの試合前のひとコマ。前年の84年4月に新日本プロレスへ入門した武藤は、しばらくして木村の付け人になっていた。

 武藤は柔道で全日本ジュニア体重別95キロ以下級3位の実績があり、強化指定選手にも選ばれた。入門したときから将来のエース候補だった。

 80年に入門した4年先輩で、合宿所の寮長だった新倉史祐は当時のことを鮮明に覚えていた。
 
「武藤が初めて合宿所にやって来たとき、俺も坂口(征二)さん、山本(小鉄)さんと対応したんですよ。部屋割りを決めなきゃいけなかったんで。(部屋が決まって)武藤が2階に上がった後、2人は『デカいな~』って言ってましたね。期待されてるのがわかりました。でもあいつ、3日でプロレス辞めたいって言って…。山本さんが止めてましたよ。蝶野も同じ日にいたのかな…あぁ、そういやいたな。あいつ長髪だったんですよ。リーゼントのとれかけみたいな」

 そして、「(スパーリングは)強かったですね。柔道で全国3位でしょ。ヤバかったですよ。先輩方も手を焼いてましたね。(腕ひしぎ)逆十字を取るのが早かった。それに、うまく逃げるから誰も極められなかったんじゃないかな。極められたって言ってました? (アントニオ)猪木さんと藤原(喜明)さんに? なるほど。大宮(スケートセンター)の話? そうですよ、練習で汗かいたって猪木さんに用意した風呂に勝手に入っちゃうんだもの。怒鳴りつけましたよ。まぁ、俺は9月にジャパン(プロレス)へ行っちゃったから、5か月ほどしか一緒にいませんでしたけどね」。そう記憶をたどってくれた。

 武藤は85年11月に異例の早さで海外武者修行に出発し、翌86年にはフロリダヘビー級王座を戴冠。この年の10月に凱旋帰国し、11月3日(後楽園ホール)にタッグながら猪木との対戦が実現し、流血戦を演じた。将来のエース候補として破格の扱いだった。

 94年にはグレート・ムタでも猪木と「INOKI FINAL COUNTDOWN」第1戦でシングル対決。終始ペースを握り猪木を翻弄。猪木は流れを変えようと場外で延髄斬りを繰り出した。

 ムタのベストバウトに入るであろうこの試合は、テレビ解説のマサ斎藤をして「何年かに(1人)出て来る天才レスラーですよ。このムタ、武藤ってのは」とまで言わしめた。

 その武藤は先週の17日に引退会見を行った。〝引退ロード〟は38年のプロレス生活に幕を引く武藤にふさわしい大会場ばかりだ。来年1月22日、横浜アリーナに降臨する〝魔界の住人〟ムタも含め、引退試合の対戦相手は未定。

 まだ引退表明していない蝶野正洋というサプライズはあるか(敬称略)。