【プロレス蔵出し写真館】今から42年前の1979年(昭和54年)10月2日、新日本プロレスの大阪府立体育会館でのひとコマ。殴られたのはデビュー2年目、二十歳の前田日明(当時のリングネームは前田明)。

 なぜこんなことが起こったのか?

 前田は地元での開催とあって試合前の練習からテンションが高かった。そんな前田に長州力、木戸修、藤原(まだテロリストと呼ばれる前)の3人が無茶ブリ。「これはいくら何でも割れないよな」。どこから見つけたのか、藤原の手には角材が。

 前田はサラリと「じゃ殴ってみてください」。「エッ!?」っというような表情の藤原は、引っ込みがつかず3本の角材を背、腹、頭に連続して勢いよく打ちつけた。角材は3本とも見事に二つに折れた。

 驚きの表情で前田の顔をまじまじと見て藤原はうれしそうに笑い、前田はドヤ顔で見返した。

 この当時、伝説の空手家・大山倍達の半生を描いたマンガ「空手バカ一代」(原作・梶原一騎)が大人気になり、極真会館へ入門する若者が増えた。極真がデモンストレーションで行っていたのが瓦割りと、この角材折り。

 杉の角材が折れやすいようだが、この時、前田が食らった角材の材質は不明。前田は空手をやっていたので、角材折りを経験していたのか、折れると確信していたようだ。

 この日、前田は前座の第1試合で平田淳二(後の淳嗣)と対戦し勝利を挙げ、第3試合の8人参加のバトルロイヤルにも参加。藤原を逆エビ固めに仕留めて優勝を飾った。

 この当時の前田はまだ、フライングニールキックを使う前。キックを主体にバチバチしたファイトを展開していて、若手の中でも有望株だった。
 
 ちなみにこの日のハイライトはWWF(後のWWE)ジュニアヘビー級選手権で、王者の藤波辰巳(現・辰爾)が剛竜馬に敗れて王座から転落した。

 この藤原による角材の洗礼は、4年後の84年3月21日、やはり大阪(この日は大阪城ホール)で佐野直喜(後の巧真)が経験。肩甲骨で受けた佐野も角材を真二つにしてみせた。(敬称略)