【昭和~平成 スター列伝】全日本プロレス1972年10月22日旗揚げ 「馬場VS人間発電所」世界王座争奪戦第1戦

2022年03月27日 10時00分

旗揚げ戦でサンマルチノに16文キックを放つ馬場(東スポWeb)
旗揚げ戦でサンマルチノに16文キックを放つ馬場(東スポWeb)

“世界の16文”ことジャイアント馬場が創設した全日本プロレスは10月に旗揚げ50周年を迎え、9月18日に聖地・日本武道館で記念大会が開催される。事実上の旗揚げ戦(旗揚げ前夜祭=1972年10月21日、町田市体育館)は、同年3月に旗揚げした新日本プロレスのアントニオ猪木が、カール・ゴッチとの“幻の世界ヘビー級王座争奪戦”(10月4~10日)を争ってからわずか11日後に開催された。

 16日には百田家から力道山ゆかりのベルトが贈呈され、馬場は旗揚げシリーズから「世界王座争奪戦」を開催することを発表した。旗揚げ当初から両団体は団体の名誉であり象徴である「ベルト」を巡り、ライバル意識ムキ出しで火花を散らしていたわけである。

 馬場が世界の強豪8人と戦う世界王座争奪戦(全10戦)は、旗揚げシリーズ開幕戦(10月22日、日大講堂)からスタート。馬場は永遠のライバルで盟友である元WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者で“人間発電所”ことブルーノ・サンマルチノと第1戦を行い、1―1の引き分けに終わっている。発電所は71年1月までWWWF王座に7年8か月も君臨。まさに全盛期だった。

 前夜の旗揚げ前夜祭も苦難のスタートとなった。本紙は1面で「馬場全日本」の船出を報じている。「馬場開幕戦飾れず。無残な場外昇天」の見出しが印象的だ。

『ジャイアント馬場がついに“旗揚げ”だ。全日本プロレスの旗揚げ第1戦(正式には前夜祭)は21日、町田市体育館に3500人の観衆を集めて行われた。注目の馬場は国際プロから移籍したサンダー杉山と組んで、メインで人間発電所B・サンマルチノ、荒馬T・ファンクと対戦した。約2か月半ぶりの試合となる馬場は猛ハッスルして発電所にアタック。1本目はテリーが豪快なスープレックスで杉山を叩きつけて先制。2本目は馬場が32文ドロップキックで吹っ飛ばしたテリーに杉山がヒップドロップを連打してタイ。決勝ラウンドは外国人組が荒れ狂い、サンマルチノの必殺のベアハッグで馬場はグロッキー。直後にテリーがドロップキックで馬場を場外に吹き飛ばし馬場は立てず。杉山も場外へ投げられて、日本組はリングアウト負け。馬場は無念にも旗揚げ戦を飾れなかった。馬場はきょう22日、日大講堂でサンマルチノと全日本プロレス認定の“世界ヘビー級王座争奪シリーズ”第1戦を行う。馬場は「2か月半ぶりに日本のマットに立って、皆さんから拍手を受けた時、胸がジーンと熱くなった。ファンとはありがたいものです。そのファンのために頑張ったのですが、こんな結果になって残念だ。無念を晴らすためにも、明日のサンマルチノ戦は何としても勝ちたい」と語った』(抜粋)

 惜しくも旗揚げ戦は飾れず、翌日は発電所と引き分けたが、馬場はその後の争奪戦でテリー(10月30日名古屋)、アブドーラ・ザ・ブッチャー(12月6日米沢)、ザ・デストロイヤー(12月19日新潟)ら強豪に連勝。第5戦でウイルバー・スナイダー(73年1月6日岐阜)とは引き分けたものの、その後は連勝を続け、第8戦の発電所との再戦(73年2月15日札幌)はフォール勝ちで旗揚げ戦の雪辱を果たした。

 結局、馬場は最終戦のボボ・ブラジル戦(73年2月27日日大講堂)でも勝利。最終戦績を無敗の8勝2分けとして力道山ゆかりの世界ヘビー級王者に認定され、同王座はPWF認定ヘビー級王座となり、長く全日本=馬場の看板となった。

 馬場の後を追うように同年12月10日東京体育館では、猪木がジョニー・パワーズを撃破して悲願のNWF世界ヘビー級王座を奪取。両団体はそれぞれの王座を看板として、交わることはなかったものの激しい“戦争”を展開していく。 (敬称略)

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